―― 目 蓋 の 裏 の 未 来 の 光
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 突然腹部に与えられた打撃と痛みに「うおっ!』と大声を上げて飛び起きたマサキは、逆光になった人影が女としてぎくりとした。昔、悪さをした誰かだと思ったのだ。いやそんなはずはない、いまのところだいたいきれいになっているはず……。
「起きろ、ぼんくら。そこは私の昼寝の席だぞ」
「……リオン?」
 いくつかしか違わない従姉が、憤懣やるかたない様子で寝ぼけ眼のマサキを見下ろしていた。
 王宮は広く、しかしどこで誰が見ているかわからないということもあって、完全に一人になろうと思うと場所の選定に時間を要するのだ。快適性を求めると難易度はさらに上がる。
 そうして見つけたのが奥宮の近く、建物の影のちょうどよく生えた槇の木の向こう側、午後の日差しを遮りつつ風が吹く芝の上だった。
 ここを昼寝場所と定めたのはどうやらマサキだけではなかったらしい。退けと言って蹴り出すリオンを避けて位置をずらすと、そこにリオンはどかっと腰を下ろす。潔いくらい高い位置で一本にまとめた髪を苛々と払い除けている。
 この従姉があからさまに機嫌を悪くする理由は限られている。
「お前、まーた兄上とやり合ったワケ? 懲りないなー」
 リオンの柳眉がびくりと跳ね上がり、ちっと舌打ちが聞こえた。
「うるさい。尻尾を巻いて、腹を見せて服従した軟弱者に言われたくないわ」
 やれやれ、とマサキは首を掻いた。
 話題にしている人物は、マサキの従兄、リオンの血の繋がらない兄である、我らが族長キヨツグ・シェンのことだ。前族長の服毒事件や派閥争いを経て先頃族長に就任したばかりだが、その在り方は若くしてこれまでのどの長よりも長らしいと評判だ。
「あの人に張り合えると思えるヤツを尊敬するね、俺は。戦ったところで勝ち目ないじゃん。むしろ俺なんかを担ぎ上げるヤツらの気が知れないね」
 族長就任は世襲制ではない。次期族長にふさわしい人物を公子として選出し、長老会議の承認と命山の許しを得て長に据えるのだ。リオンは前族長の直系として、マサキは分家筋のリィ家の長として公子に選ばれていた。だがリリスとして純然たる血を持つキヨツグがいる時点で、今回ばかりは慣例をなぞっただけだと聞いている。
 国を閉じて一族とその地を守り続けてきたリリス族が、崇敬の念を抱いて戴くのがキヨツグなのだった。
 しかしリオンはことあるごとごとに血の繋がらない兄に「気に入らない」と吐き捨てる。
「何もかもできすぎて、気に入らない」
 そんな理由で喧嘩を吹っ掛けられるキヨツグも大変だと思うのだが、名家に生まれ育ち、異種族の国や文化に思いを馳せるマサキには、リオンの気持ちが少しだけわかる。
 あの人くらいの力があればどんなことだって叶うんだろう。そんな風に。
 隣に座るリオンは邪魔になる太刀をすぐ近くに横たえて、肉食獣を思わせる不機嫌な目つきをしていたが、不意に唸るような声で呟いた。
「北方の守護を命じられた」
 北領はマサキが治めるリィ家の領域だ。リオンが指すのはその最北端、モルグ族との交戦地域を指す。つまり戦場の第一線に駐留せよと命令があったのだ。
「北部戦線にて指揮官として着任する。地位は副将軍からだ。さすがに若すぎるゆえに、と言われたので、いずれ将軍職を与えるつもりだろう」
 実力、能力を重んじるのはキヨツグの治政の特徴だった。そのため王宮の者たちには力を認められて登用された若い者たちが増えつつある。
 だがそれを妹、血の遠い養父の実子にも適用するとは思わなかった。しかも行き先が戦場とあれば余計な勘ぐりをする者は多かろう。
「それは、意図があって?」
 政敵となりうるリオンの死を望んでいるのか。
 マサキが慎重に尋ねるとリオンは唇を歪めた。
「そう思うだろう? 私もだ。だが、まったくもってそのつもりはないんだと!」
 ぎりぎりぎり、と鋸の刃が鳴っているようなすごい顔で凄まれた。
「性質と能力と資質を総合した結果の人事、だと! 馬鹿か。保守派の狸と革新派の阿呆どもにわざわざ付け入る機会を与えるな!」
 リオンの吠えた言葉を数度吟味して、マサキはほっと安堵の息を吐いた。恋仲にあった女性が罪を犯した際、一欠片の温情も示さなかった裁きと態度は、キヨツグが無情な人間であることを人々に印象付けた。リオンに対してもそうなのかと疑ったが、情の有無は置いておいて、公平な評価を下しただけだったらしい。
 そしてリオンはそれが気に食わない。
「結婚を命じるよりもまともな判断だよ、まったく!」
「それはそうだな。俺も、お前と結婚させられる可能性がさらに下がってありがたいわー」
 血統を重んじるリリス族を代表する家に生まれただけに、いとこ同士の結婚をそれなりに覚悟していたマサキとリオンだった。
 しなくていいなら、それはそれで嬉しい。リオンは勇ましい美女だが、マサキは可愛くて大人しい性格の女性の方が好みだ。
「本当にあの男は気に食わない……」
「適材適所、デショ。上手いこと使われてる気がしてムカつくんだろうけど、飼い殺されるよりずっとイイじゃん。諦めろー」
「そうやって他人事としていつまでも笑っていられると思うなよ。お前もいずれ、あれの命じられるままに動かざるを得ない日が来るんだ。あの、何の滾りも知らぬ、譲れないものも持たぬ、人間の欠陥品に」
 リオンの目はますます燃え盛る。肩肘をついたマサキは苦笑した。
 確かに、人間味は薄い。表情もないので、楽しいことはあるのだろうかと疑ってしまう。情人がいるときも本当に好意や愛情を抱いた上での関係かと思う。
 だが熱量の塊のようなリオンとキヨツグは正反対の性質の持ち主なので、そこまで悪し様に言われるとさすがに可哀想だった。
「わっかんないぜー? 運命的に恋に落ちるかもしれないじゃん。人が変わったみたいに笑うようになるかも」
「もしそうなったらその相手を義姉上と呼んで、敬いに敬ってやる。あれはキヨツグと呼び捨てにしたままな! まあ絶対にあり得ぬだろうが」
 せせら笑ってリオンはごろりと横になる。中空に想像を浮かべたようだが、やはりあり得ないと考えたようで、鼻先で笑い飛ばすとどうでもいいとばかりに目を閉じた。
 このときは想像もしていなかった。やがてやってくるヒト族の少女が、マサキやリオン、リリス全体を巻き込みながら変化をもたらすこと。誰も思いもしなかった、キヨツグとその花嫁の運命の恋を。



初出:20141010
改訂版:20220808

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