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 厚く厚く。白粉を塗って血の気のない顔を装う。心が麻痺するように塗りたくる。そうすれば、どんな非道にも、後ろめたさにも足を止めずに済むから。たとえ後に断罪されることを知っていても。
(化粧、上手になってきたな)
 自嘲の笑みを浮かべたはずなのに、鏡の中のアマーリエは、不気味なほど穏やかな微笑みをぴくりとも動かさなかった。
 センとの話し合いを終えたアマーリエが次に向かったのは、カリヤを通じて集められた長老たちが集う会議の場だった。緊急に招集をかけたが、キヨツグのこともあって全員揃っている。
「お待たせいたしました。皆様にご報告と、ご相談したいことがあります」
 話を切り出すと、カリヤが事前に知らせた数名は、険しい顔をさらにきつく歪めた。他の、何も知らない長老たちは、話が進むにつれて顔色を変えていく。当然だろう、感染症を防ぐための薬剤が、何の効果もないただの栄養剤だと知らされれば、誰だって驚愕する。憤怒する者、嘆き呻く者、呆然とする者の三様の態度を見せた長老たちの中から、低く、地を這うような声がした。
「卑劣な……」
 それがやけに大きく聞こえたのは、アマーリエの罪の意識のせいだろう。
 声をきっかけに、長老から怒りの声が噴出する。
「異種族め、それほどまでに我らが憎いか!」
「これは宣戦布告だ。軍を組織し、都市に攻め込むべきだ」
 報復を。不当な行為を黙って見過ごせない。力を対抗すべきだ。口々に戦うべきだと言い合い、高揚していく彼らに静かな視線を向けて、アマーリエは言った。
「お気持ちはわかります。ですが、戦うことを許すわけにはいきません」
「なに!?」
 戦うことが染み付いたリリス族の怒りの矛先が向けられたが、怯むわけにはいかない。一人一人に目を配り、強く、言い放つ。
「リリス族はいま弱体化しています。それにヒト族が次なる手段を準備していないとも限らない。こんな多数の犠牲が予測できる状況で、戦争を仕掛けることは許しません」
「報復をするなと? ヒト族があなたの同族だからですか!?」
「同族だから、何です?」
 アマーリエは眉をひそめた。
「わかるように説明していただけますか? 緊急に集まっている状況でお時間をいただいて恐縮ですが、同族だから報復するなと私が言うと思ったのは何故か、聞かせてください」
 丁寧で、柔らかな物言いではあったが、アマーリエが本気で怒っていて、説明を要求しているのは伝わったらしい。長老たちは黙ったが、生意気な、と呟いて不愉快そうな顔を隠さなかった。
「僭越ながら」とそこで割って入ったのは、カリヤだ。
「ご自覚のあるように、いまは時間が惜しい。お話はこの件だけですか? ならば対策を話し合いましょう。それとも、真様にはすでに何かお考えがおありなのか、あれば聞かせていただきたいのですが」
 穏やかに言ってアマーリエに嫌味を向けつつ、場を仕切っている。さすがだと思う。根回ししただけはある。
(これも、舞台だ。今度は私が下す結論のために演じてもらうための場。定められた結論に落とし込む作業)
 キヨツグが教えてくれたことだ。カリヤに頼りきりではあるけれど、アマーリエが身を切る策を提示したことで、かなり協力的になってくれているようだ。アマーリエはまだ長老たちを取りまとめることが上手くないけれど、今回は彼が代わりを務めてくれている。
 アマーリエは全員の視線を受けて、口を開いた。
「私自身を人質にして、第二都市のコレット市長から治療薬を引き出します。私の命が惜しければ治療薬を渡せ、さもなければ死ぬと」
 名指しした市長が誰なのか、真っ先にわかったのはカリヤだ。
「確かに、実の父親ならば治療薬を渡そうと考えるかもしれない。しかしあなたを確保してしまえば、その取引は成立しなくなります。北の境界を超えて襲撃してきたヒト族です、潜伏していない者がいないとは限らない」
「ええ。だから必要なのは、私をリリスから連れ出すことができない状況と、必ず治療薬を引き渡さなければ私が死ぬという状況です」
 そんな都合のいい状況をどのようにして作るというのか。訝しげな空気の中で、アマーリエの浮かべた微笑みは、場違いなほど穏やかで優しいものだった。
「ですから私が、フラウ病患者の血液を輸血します」
 血液を注入する治療は、遊牧を主とする氏族ではあまり馴染みのないものだというから、一部はその意図することがわからず首を傾げている。だが、理解に及んだ者ははっきりと顔色を変えた。
「ヒト族とリリス族の間で婚姻が可能ならば、血を受け入れることもまた、可能であると考えました。輸血は可能であるか、王宮医官長のリュウ医師に確認を取り、ヒト族の医療関係者にも意見を聞きました。双方ともに、可能である、との返答でした」
 つまり、と長老の一人が呟く。
「病に罹っている者の血を、真様の身体に入れる、と……」
「そ、そんなことをすれば、真様が病に倒れるのではありませぬか!?」
 血相を変えた叫びに、全員が状況を理解した。
 アマーリエは笑みを深めた。
 父コレット市長から薬を手に入れるためには、アマーリエがフラウ患者になればいい。患者になれずとも、感染疑いがあるとなれば、あの人は必ず薬を送るなり治療を試みるはずだ。だが感染疑いの人間を都市に入れるのはリスクが高すぎる。アマーリエを移送することは不可能だ。
 ゆえにこれが、アマーリエが企てた、リリスを救うための決死の策なのだった。
「異論は聞きません。この策を取ります」
 ――けれど、強硬に告げるその真意を知っている者は誰もいない。知るとすればキヨツグだけれど、ここにはいない。そして承知しているセンは、ここには決して現れない。
 キヨツグは族長で、その決定は絶対的ではあるけれど、こんな独裁はしない人だった。そしてアマーリエにはこの場で彼らに命令する権限があるわけではない。けれど、海千山千の長老たちが、いまこのとき、異論を唱えることなく神妙にアマーリエを見つめていた。そしてアマーリエは、決して顔を背けることなく、どこか悠然とした表情でそれらを受け止めていた。
「……確かに、御身はヒト族とリリス族を繋ぐもの」
 声を上げたのは、ハルイという、キヨツグに近しい年若い長老だ。
「失礼を承知で申し上げれば、人質でございます。ですが、治療薬を手に入れられるほどの価値が、真様におありなのでしょうか?」
 別の長老は、狼狽した周囲の中で一人、動揺を見せずに冷静に言葉を継ぐ。
「真様は都市よりお輿入れなさったが、その価値が如何程のものか、わたくしは常々不思議に思っておりました。しかし、ハルイ殿の言葉を借りれば真様の『価値』とやらを、天様はどうやら最初からお認めではあったようではありましたゆえ、何も申さずにいましたが」
 アマーリエは束の間、瞑目した。
(こんなときにわかってしまうなんて)
 そうであってほしい、と思っていた。キヨツグがアマーリエを花嫁に選んだ理由。それはきっと――キヨツグは、アマーリエの価値でなく本質を愛したということ。
 最初は、政略。次に恋。最後に愛を育んだ。政略結婚という結びつきから始まったアマーリエとキヨツグだが、いつか聞いた言葉が本当なら、彼は恐らく、愛情を抱いたからアマーリエを選んでくれていた。
 彼から降り注がれる思いは、アマーリエにとって運命と幸運であり、本来なら与えられなかったかもしれないものだ。彼と交わした思いは、アマーリエ自身の『価値』などという重石ではなく、自由になるための尊さや聖らかさを教えてくれた。
「私の存在は、ヒト族や都市にとって価値などないに等しい。――ですが」
 価値なんて。こんな身体や血にあるわけがない。
 けれどそうは思っていない人が、あの建物の群れが並び立つ街の、最も高い塔の頂上にいることを知っている。
「コレット市長には、あります」
 あの人はきっと取り戻そうとするだろう。あの人にとっての『天使』を失ったいま、アマーリエだけがよすがになれるのだから。

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