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深刻な事態ではあったし、アマーリエの提案が有効であることも認めはするが、安易に事を進められないと誰もが思っているのを感じ取って、会議を行おうとカリヤがその後を引き取った。思案しながら唸るように了承する長老たちの返答を聞いて、アマーリエはその場を退出した。会議も策も、進行役は別の者に任せた方がいい。アマーリエにもやらなければならないこともある。
(母さんとイリアに連絡をして、来てくれるよう頼まなくちゃ。母さんには輸血を、イリアには都市との交渉を手伝ってもらおう。二人ならきっと力を貸してくれる)
イリアに、相談したいことがあるから至急リリスに来てほしい旨をメールに送信する。詳しいことは、いくらメールでも痕跡を残さない方がいいだろうと詳しいことは書かない。
送信済みの表示を見て、ふと、母も従姉も怒らないわけがないだろうな、と苦笑が滲んだ。
恋は盲目とよく言うけれど、自分が選ぶ道が正しいものであるとアマーリエは信じていた。迷う時間も躊躇う意味もない。この身はヒト族とリリス族の同盟の証であり、生贄で、人質だ。それを自分自身が使って何が悪いのか。
返事は、キヨツグのそばで待つことにする。病人の近くだから人の出入りはほとんどない。静かに過ごすにはちょうどいい。
そうして部屋を出たところで鋭く呼び止められた。
「アマーリエ!」
血相を変えたシキが、驚くアマーリエの手首を捕まえる。
ぶるぶると身体を震わせた彼は、アマーリエが穏やかさに包まれていることを見て取ると、離した手で顔を覆って呻いた。
「なんてことを……信じられない、患者の血液を身体に入れるなんて、危険すぎる……!」
アマーリエはくすりと笑みを零した。ここまで言われようとも死の恐怖をまったく感じない、自分の壊れぶりが滑稽に思えたし、シキがここまで動揺する必要はないと思うけれど、様子を見にきてくれたことは素直に嬉しかったのだ。
「発病するかもしれないし、何も起こらないかもしれない……」
歌うように口にして、微笑む。
「どちらにしても、何もしないわけにはいかないの。私には責任がある。役目を果たすよ。できることをやるんだ」
「それは『できること』とは言わない!」
響いた怒声に鳥や虫の声が止む。
眼鏡の奥の、いつも柔らかなシキの目が、感情をこらえて真っ赤に染まっていた。
「それは、君にできることの範囲を超えている。命を盾にした無謀だ」
そうかもしれない。いや、絶対にそうだ。
握り締められた彼の震える拳から、そっと目を背ける。
「――それでも、やるの」
冷たく心を固めて。『他に何もいらないの』という自分の叫び声だけを聞いている。他に何もいらないの。周囲を見ず、自らをも顧みず。他に何もいらない、あなたさえいれば。あなたを守ることができるなら。
あなたとともに生きるためならば。
アマーリエが信じて、大切だと思うのは一つだけ。埋もれた種を見つけて、芽吹かせてくれた人。咲いたその、花の名前。
あの人がもう一度呼んでくれるなら、何も恐ろしくはないのだ。
「君は……」
そんなアマーリエを見て、シキは深く傷付いたようだった。
「君は……いまでも、自分のことを、役に立てていないと思っているんだね……」
胸を突かれた気がして顔を上げた。
「天様が、お可哀想だ」
無意識に胸を押さえて、乱れた呼吸を飲み込んでいた。シキの言葉は、アマーリエが自分を役立たずだと思い込んでいるからこんな極端な手段に出たのだろうと指摘していた。そして、それをすべて否定することはできないと気付かされてしまった。
「君は君のことを大切に思っている人たちを蔑ろにしている。君自身を粗末に扱うことで」
「選べるのは一つだけだよ」
動かされた心を引き戻すように、アマーリエは強く言い切った。
「私は、リリスを選ぶ。私よりキヨツグ様を。私より、みんなを」
今度はシキが言葉を飲み込んだ。納得なんてしないという表情を見て、アマーリエはわずかに項垂れた。涙を零せるのならそうして、謝罪の言葉を口にしていただろうけれど、いまはそのときではない。
「……ユメ御前やアイ殿や、リオン様に言って、君を閉じ込めてもらうよ」
「できるものなら」
そう言って、アマーリエは声を立てて笑った。歪んでいて哄笑に近く、ざらついて響いたそれを収めて、息を吐き出す。
「ごめんなさい、心配してくれてるのにね。……でも、リリスを守ることでしか何も返せないから」
シキは身体を震わせて首を振った。
「……君は、ずるい」
本当にずるい、と子どものように溢す。狭間に落ちる沈黙が、許してという言葉に変わってしまう前に、アマーリエはそっとその場を立ち去ろうとする。
それをシキの悲痛な声が留めようとした。
「君は、ただの女の子なんだよ」
思いとどまらせようとする哀願の言葉は、意識して凍らせた心には届かなかった。けれどこつりと当たった衝撃のような、淡い痛みと、申し訳なさが、アマーリエを微笑ませた。
「ありがとう。シキは、お兄さんみたいだよね」
顔を背けたシキをその場に残して、アマーリエは背を向ける。
共を連れずに歩みを進める。誰が縋り付いても、この足は止まらない。
冷たい冬の風にさらされていたシキは、真っ赤に熱を持った目を上げ、震える息を吐いた。そこにいたアマーリエはとっくに立ち去っていて、間違っているとしか言えなかった自分をひどく惨めに感じた。
いまごろ長老たちは結論を下していることだろう。どういう結果が出るのか、よくわかっている。
(ごめん。アマーリエ、ごめん)
どれだけ残酷なことを彼女に強いるのか。政略結婚で未来を奪い、今度は人質としてその身を危険にさらす。彼女は選択だと言ったけれど、シキからすれば、それはすべて選ばされているものに思える。世界が、運命が、アマーリエという花を弄び、その身をばらばらにすることを望んでいる。守ってくれる人の不在を、アマーリエは一言も嘆かない。不自然なほどに泣き言を口にせず、不安を漏らせば現実になると思い込んでいるかのように頑なに、じっと前を見ている。次期族長選出の話や、後継として族長になる可能性の話を耳にしているはずなのに、ただひたすら、前だけを。
彼女はたった一人、立ち向かう――世界というそれに。
吹きさらしの庭木たちが掠れた音を立て、シキは泣き濡れた目をそちらに向けた。分厚い深緑の木々の中に、寒々しい枯れ枝が広がっている。春になれば花が咲くそれに、花の姿はない。蕾を固く閉ざしている。柔らかな花を隠している。
(君は、ただの……)
学ぼうと努力し、懸命に動き、周囲との対話を試みて、悲しんだり笑ったりするアマーリエは、本当にごく普通の、どこにでもいる、花開く少女だった。
なのにどうして、与えられるべき幸福が許されない?
シキの絶望は、自らも彼女を苦しめる世界の一部であるということだった。
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