第2章 平穏と日陰
 

 切り開いた山とわずかな平地を埋めるようにして作られた集落が、ロジエの中心部に当たる村だ。
 石と木材を組み合わせた住居は、限られた土地ゆえに上へ上へと高く作られている。同時に道が複雑に入り組むようになり、ただ歩いているだけでもまるで迷路に迷い込んだような気がするが、その分、見上げた頭上の狭い空の青が眩しい。
 車同士がすれ違うのも難しい石畳の道をゆったり進んでいると、ちょうと行く手の建物の扉が開き、壮年の男性がこちらを見て「おっ」と声を上げた。ふさふさした太い眉毛と厳つい顔をした彼は雑貨店の店主、ノーレンだ。
「ウルスラ、グウェン。そろそろ来る頃だと思ってたんだ。質の良い薬石が入ったよ」
「高く売り付けようと待ち構えてたってことだね」
 ウルスラの口の悪さを物ともせず、さあさあと店内に招き入れる。
 この辺りはおしゃべりと顔見知りの来訪が何よりの楽しみで、一度捕まるとお茶だのお菓子だの軽食だのでもてなされてお腹が膨れても解放してもらえないのだ。薬や手芸品を卸しに来たもののそれだけでは済まないだろうと簡単に予想できる。すると何もかも承知したグウェンがにっこり笑ってコーディリアを誘った。
「ノーレンはウルスラに任せて、私たちは買い物をしてしまいましょうか」
 人付き合いを好まないウルスラだけが応対に当たるのは、彼女なら用向きが済めばさっさと離席できるのと、グウェンが入るとおしゃべりが止まらず長引くからだと知っているコーディリアは、内心苦笑しつつ「はい」と頷いた。
 馬車はノーレンの店先に停めさせてもらい、村を歩き回って雑貨店以外での買い出しを行った。帰宅が遅くなるのですぐ食べられるパンやチーズの類は必須で、後は糸や布、蝋燭などの生活に必要なものを買い、道具の修理依頼に鍛冶屋を訪れた後は、酒屋で少しいい蜂蜜酒を買った。
「また無駄遣いをしたね? 蜂蜜酒なんて飲む余裕があるのかい」
 コーディリアが荷物を抱えて店を出たそこへ声がかかった。
 手綱を握ったウルスラが馬車を停め、遅れて出てきたグウェンを睨みつけている。
「楽しみは作っておくものよ。そうでしょう、ねえアデル?」
 しかしどこ吹く風でグウェンは瓶を抱えてご機嫌なので、厳しい視線を向けられているコーディリアは同意も否定もできず曖昧に笑うほかない。
「ふん、グウェンの食い道楽はいまに始まったことじゃないけどね。さあ、ノーレンの店に荷を卸したし、そろそろ往診に回るよ。あんたはどうする、アデル? 付いてくる分には構わないよ」
「邪魔をしてはいけないので、終わるまで散策しています。買い物が残っているなら承りますが、何かありますか?」
「ああ、それなら」とウルスラは毛糸を編んだ小銭入れを放り投げてきた。
「あたしたちの分まで聖堂に参ってきておくれ。そこに入っているのを寄進するんだよ」
 ロジエの聖堂はこの村で最も古く、外も内も頑健でいて質素な石造りだが、内装を青で統一した知る人ぞ知る美しい場所なのだ。歴史的に見ても神鳥信仰からしても重要な祈りの地で、本来の機能を失ったいまも参拝者が絶えないという。
「聖堂で慈善活動の焼き菓子が売っているはずだから、そのおやつ代を除いてね」
 グウェンにウルスラはまた「勝手なことを言って」と苦い顔をしてから、コーディリアと待ち合わせ場所の確認をして馬車を駆って行った。
 黒と赤の毛糸で編み込んだ小銭入れを柔らかく握ってコーディリアは笑みを零す。
(ウルスラは口も態度も悪いように思えるけれどとても優しい人。そしてグウェンは何もかもお見通し)
 聖堂に行くように言ったのは、そこなら風が凌げるから。散策といっても大きくはない村だ、時間が余ったとき安全に長く滞在できるのは万人に開かれている聖堂だ。そしてグウェンの言う通り聖職者や有志が作った手作り菓子やジャムが売られているので空腹を満たすこともできる。
 ウルスラが悪態をつくのはグウェンがいつも彼女の本音を見透かすからなのだと、一緒に暮らして理解できるようになった。それだけに彼女たちに血のつながりがないのを不思議に思う。数十年前からロジエで暮らしていると村の住民から聞いたが、どういう経緯でそんなことになったのか。
(気になるけれど、不用意に立ち入ることではないわね。私はずっとここで暮らしていくわけではないもの……)
『アデル』というのもここで暮らすためにグウェンが付けてくれた偽名だ。グウェンの遠い親戚でウルスラの弟子になった薬師見習いの十八歳の少女アデルが、いまのコーディリアの身分だった。
 髪粉で染めた灰色の髪で編んだお下げを揺らして歩いていると、狭い道が急に開ける。
 村の中心に当たる広場だ。建物の壁に囲まれながらも十分な光に照らされ、庭仕事の好きな住人が手入れをしている花壇で薔薇がそろそろ蕾をつけようとしている。広場に面した家々の窓からも蔓植物が枝垂れ、なんとも美しい山間の村の風景かと思う。
 広場ではいつも年配の住人がのんびりと過ごしているが、今日は行商人の姿もあった。地面に広げた敷物の上に並べた、遠方の特産品や都会の品物を数少ない村人たちが吟味している。
(運がいいわ。山を降りる日に行商人に会えるなんて)
 コーディリアはそっと行商人とその輪に近付き、人が退いた隙間に滑り込むようにして品物を眺めるふりをした。周りでは村人たちが行商人を囲んでおしゃべりに興じている。
「以前持ってきていたような銀細工の髪飾りはないのかい? 今度姪が結婚するんで贈り物にしようと思っていたんだけど」
「すみません、今回は仕入れが難しくて。代わりにこの、花を模した飾りはいかがでしょう?」
「蜜菓子、蜜菓子はあるかい? 今度来たらもう一度買おうと決めていたんだ」
「木の実の砂糖がけですね。どこも品薄で、高音がついているんです。というのは最近砂糖どころか蜂蜜も手に入りにくいらしいんですよ。甘味料に限らず、どうやらこの辺りは作物全般が不作のようで」
 困ったように語る行商人と村人たちの会話に、コーディリアはじっと耳をそばだてる。
「ああ、そういえば小麦の値段が上がってたっけ」
「知り合いも、作物の育ちが悪いって言ってたなあ。著しく天気が悪かったり水不足だったりしたわけでもないのに、実は小ぶり、味もいまいちで、妙だと首を捻ってたなあ」
(ウルスラも薬の材料が手に入らないとこぼしていたわ)
 小麦は中央部、甘味料は南部が主な生産地だ。ならばアルヴァ王国全体で農作物の出来が悪いのだろう。
「ねえ、あの噂は本当なのかい?」
 同じく耳を傾けていた他の女性が、周囲をはばかるように声を潜めて会話に入ってきた。
「いまこの国には魔力が行き渡ってない。王様のなさりように、神鳥がお怒りなんじゃないか、って……」
 コーディリアに山羊のような耳がついていたなら、会話の内容にびくりと大きく反応したことだろう。
 行商人がやってくると国内の、特に王都周辺の情報が手に入る。王家の動きを探るために情報収集は欠かせない。こうした話題を聞くために時折山を降りる必要があるが、今日は大収穫の予感がした。
「いやいや、そんな。ただの噂話ですよ。簡単に口にしちゃいけません」
「噂をすることすら許さない王様だってことだろう? この辺りは運良く王様の手が届きにくくなっているけど、平地の方じゃ大変だって聞いたよ。貢税の取り立ては厳しいし、役人にちょっとでも逆らおうものなら牢屋行きなんだって」
「それを思うと、神官様たちが仮の領主で不便ではあるけど、ロジエに住んでいてよかったなあ」
 別の住人がしたり顔で頷くと、本当に、とさらに隣にいた女性が大きく頷く。
 領主が不在のロジエでは、領地内で発生した事件等を審理したり災害対策を行ったりなど、急を要する案件で長らく不自由を強いられてきたらしい。だが王の手が届きにくいことは、ロジエが平穏を保てる理由ともなっている。
「引っ越しもままならないんだってね。領主様たちが住人を出したがらないとか」
「百姓や働き手がいなくなるから? そりゃひどいや」
「これはやっぱり『青姫』が逃げたことと関係があるのかね?」



 

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