第2章 鳥影の示すもの
 

 ――『青姫』。
 耳にすることはないと思っていた呼び名にコーディリアの心臓は凍りつく。
(……私? 私が、何?)
 動揺を瞬時に抑えつつ、どういうことだろうといっそう慎重に会話に耳を澄ませる。
 周囲の人々はまるで遠方の親戚を語るようにそれぞれ頷いて『青姫』の話を始めた。
「王子様の婚約者だった青姫様がいなくなってからだよね。ちょっとずつおかしくなってきたのは」
「本当によくできた方だったってねえ。綺麗でお優しくて、王子様の仕事の手伝いができる有能な方で。いなくなってからのお城のお役人たちは全然だめなんだってさ。早く帰ってきてほしいって言われているそうだよ」
「青姫は神鳥の使いだったかもしれない。この国を見放したのかも」
 神妙な呟きを聞いてコーディリアはつい吹き出しそうになった。同時に苦い自嘲で顔が歪む。
(神鳥の使い? 噂とはいえ買い被られたものね……)
 いまになってそのように言われても、と思う。あの頃のコーディリアは家族や近しい使用人たち以外の場では孤立無縁だったというのに。
「じゃあきっと王子様は青姫様を探しているだろうな。青姫様が戻ってきてくれないと国がどうなるかわかったものじゃないんだから」
「行方はわかっていないのかい? 伯爵家のお嬢様だったんならご両親や使用人もいるだろう?」
 自由に言葉を交わす住人に半ば放置されていた商人は集中した視線に苦笑いを返す。
「雲の上の方々の事情は私みたいなちっぽけな商売人にはわかりませんよ。ただ確かに青姫どころか伯爵家の関係者の行方も掴めないと聞いたことがあります。痕跡を残さず逃げおおせるなんてそれこそ神鳥が隠されたのではないか、なんて話もありますね」
「ほほう……」
「ほらね、やっぱり」
(そう、お父様たちは国境を超えたはずなのに行方がわからない。国内に残った者もいただろうけれどその足跡も見つからない。まるで誰かに掻き消されたかのよう)
 情報を集めていたコーディリアも、最初両親も使用人たちが王宮側に囚われてしまったのかと懸念した。だがどうも本当に見つかっていないらしいのだ。まったく足取りが掴めないのは不自然すぎるがそれだけ完璧に潜伏できているのだと信じるほかない。
 周りではそれから青姫の居場所について妄想混じりの推理大会が始まったので、コーディリアは売り物を吟味し尽くした顔で行商人に軽く会釈してからその場を離れた。
 南の聖堂に向かって歩きながら、先ほどの会話の内容を思い返す。
(不作のよう異変は王家の横暴な振る舞いが原因かもしれないと考える人々が増えてきたのね。それも私やエルジュヴィタ伯爵家の関係者が見つからないことに結び付けられて)
 魔力持ちの証である銀の髪と青い瞳が理由だろう。王太子の婚約者として振る舞ってきたコーディリアの風貌は多くの人々にとって印象的なものになっていたらしかった。
 だがそれだけに危機感が募る。
 逃亡してしばらくは情報操作が行われコーディリアやエルジュヴィタ伯爵家が叛意を抱いたという話になっていた。
 だが辺境伯として立派に務めを果たしていた父伯爵を糾弾する声はいつの間にか消え失せ、代わりに、伯爵一家が王家にとって不都合だったために囚われの身になっているのではないかと思われていたようだ。王都から離れたロジエにまで噂になっているのだから、エルジュヴィタ家から領主権を奪った王家が領民たちにどのように言われているのか想像がつく。
 それが現在コーディリアに味方する声が高まり、結果的に王家への不平不満が漏れ聞こえる状況になっているのなら。
(離れた人心を取り戻すために王宮は必ず『青姫』を見つけようとする)
 そして捕まったら最後、今度こそコーディリアに自由はない。
 硬く結んだ唇に触れた手の冷たさはいまのコーディリアの心の温度そのものだ。
(運良く追っ手に見つからずにいられたけれど、このままでいられるかはわからない。次の潜伏先の目星をつけておく必要があるわね。資金や荷物も準備もしておかなければ。次も誰かに助けてもらえるとは限らないもの。いままで以上に王宮の動きに注意する必要があるからもう少し情報源が欲しい。この辺りで一番大きな街に行けばいいかしら。魔法で飛んで行けばすぐ、)
「うわっ!?」
「あっ」
 思考に沈んでいたコーディリアは余所見をしながら駆けてきた子どもたちと勢いよくぶつかった。すてんと尻もちをついた少年に慌てて手を差し伸べる。
「ごめんなさい! 大丈夫?」
「痛ってぇ。思いっきり尻打ったあ」
 コーディリアの手に掴まった少年の来た方から、友人たちが「何やってんだよぉ」と駆け付ける。
「へへ、ぶつかっちまった」
「余所見してるヨハンが悪いよ」
「エリオの言う通りだよ。笑う前に謝んなよ。ごめんね、アデル」
 やってきたのは二人。みんなより一つ年上の栗毛のエリオと赤毛のおさげ髪が可愛らしいフィリス。ぶつかったヨハンはぼさぼさの黒い髪にいつも何かしらくっつけているやんちゃ者。ロジエの村にやってくると必ずと言っていいほど声を聞く、仲良し三人組だ。子どもなだけに突然の発熱や咳風邪に見舞われることも多いせいで薬師のお得意様とも言え、すっかり顔見知りになっていた。
「気が付かなかった私も悪かったの。ごめんなさい、ヨハン。怪我はない?」
「この程度で怪我するほどやわじゃねえよぅ。むしろアデルは大丈夫だったか?」
 十歳にならない子どもとぶつかって倒れるような繊細さはないのだが、背伸びした物言いに笑みがこぼれる。
「ええ、私は大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
「ならいいや! エリオ、フィリス、早く行こう! いまを逃したらいつ行けるかわかんないぜ!」
 あっさりと変わり身して、また後ろを向きながら走り出そうとするのでついに吹き出してしまったコーディリアだった。走り去ろうとする彼らを「待って」と引き止めると、鞄から焼き菓子の包みを取り出す。
 村の顔見知りと世間話をするときは情報収集が目的なので、口が滑りやすくなるようこうした贈り物は欠かせない。けれどいまは素直に、この子たちに喜んでもらいたかった。
「ちょうどお菓子を持っているから、あなたたちにあげる」
「うわっお菓子だ!」
「うまそう!」
「蜂蜜のいい匂いがする!」
 声を揃えて「ありがとう!」と言った三人は風になったように駆け去っていった。今日はどこへ遊びに行くのだろうか。
(私もあんな風に一緒に遊べる同世代の友人が欲しかったな……)
 身分も立場も、交流を持つ相手を吟味する必要があったコーディリアだった。代わりに使用人やその子どもたちと親しくなったし、侍女のイオンは友と呼んでも差し支えのない話し相手だったけれど、ロジエに来てから思い出されるのはこれまでの孤独や不自由のことばかりだ。
 今頃イオンたちや両親はどうしているのだろう。元気でいてくれればいいのだけれど。
(どこかできっと穏やかに暮らしていると信じている。その平穏を守り通すために、絶対に捕まったりなどしない)
 繰り返し固めた思いの在処を確かめたコーディリアの頭上を大きな鳥が飛びゆく。その方角には聖堂がある。
 神鳥に祈る場所に詣でれば多少なりとも加護があるかもしれない。
 ロジエの聖堂は熱心な信者には有名で、数は多くないが巡礼者がいることもあり情報収集にはうってつけだ。鳥影が示してくれたのだと思うと、王家と対立する身としては幸先のいいように感じられた。



 

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