第4章 銀鳥の墜落
 

 コーディリアはエビヌの惨状に怒りで目が眩みそうになりながら魔法で消火と兵士たちの排除を行い、住民が閉じ込められている集会所を解放するとすぐさまロジエに向かった。いるはずのマリスたちの姿がないのなら山を登っていったに違いない。そして必ずロジエを蹂躙するだろう。
 そうして飛んできたらこの有様だ。
 広場に横たわる傷付いた少年の姿にいまにも暴れそうな魔力と感情を抑えながら再び尋ねる。
「何をしているの、と言っている」
 言葉にしながら視線を走らせて足音を忍ばせて近付く兵士を魔力で弾き飛ばす。その視線を流すようにすると、マリスは足元にいるヨハンに剣の先端を押し付けて笑い出した。
「それはこちらの台詞だ。王太子を害した反逆者め。やはりこの辺境に身を隠していたか。この一年、さぞ穏やかな日々を過ごせたことだろうなあ?」
 刃の先が遊ぶように揺れていた。ヨハンは逃げることすら不可能なほどに暴行を受けていて、いつ気まぐれを起こしてその小さな身体に白刃が突き立てられるかわからない。マリスの兵が包囲の輪を狭めているが、そのうちの数名は多少魔力を持っていると見え、こちらの魔法を警戒してあまり近付いてこない。
 規格外の魔力の持ち主はコーディリアだが魔法の同時発動の経験はないことにいまになって気が付いた。目で見なければ魔法は使えないという長年の思い込みによるものだろう。早々に気付いて訓練すべきだったが、仕方がない。
 マリスに対処すればこちらに兵士が迫る。兵士を排除すればマリスがヨハンを殺す。
 脅威を一気に排除できないのだとしたらもちろん選択するのは前者だが、と思っているとマリスの目にある感情が急に冷えた。
「……本当に忌々しい。こんな辺境にいて、そんな粗末な身なりでいてなお、お前の魔力はこれまでになく青く輝く。汚れなく美しいまま」
 遠い、届かなくなったものを見ているかのよう。
 だが次の瞬間、憎しみを噴き上げてコーディリアを睨み据えた。
「ああ、ああ、ああ!! 反吐が出る! 力に恵まれただけでお前はいつも優遇され、幸運を与えられる。お前を保護した翼公はさぞ優しかっただろうなあ!?」
 聞く価値のない言葉の中に捨ておけない名を聞いて、コーディリアはぴくりと肩を跳ね上げた。
「翼公が、何?」
「白々しい。翼公と組んで王家を謀り、身を隠しながら幸福な時間を享受したんだろう? 救いを求める人々の声には聞こえないふりをして。お前は本当に、自分のことしか考えていない女だ」
 何を言っているのかわからない。
 すなわちもう聞く意味がないということだ。会話が成立しないと早々に見切りをつけて、コーディリアは刃を塵に変えた。
「うわっ!?」
 ぱしゅっと潰れるような音とともにマリスが手にしていた剣が砂になる。慌てたように退いた手を退く彼に静かに告げた。
「兵を退かせなさい。でなければ次はあなたを塵にする」
「できるわけがない。お優しいお前には!」
 マリスの怨嗟の声は彼の背後で吹き飛ばされる兵士たちの悲鳴に重なった。
 いまのコーディリアは目に捉えずとも魔力を操れる。広場を囲む兵士たちが魔力波に突き飛ばされ、地面や柱に縫い付けられて呻き声を上げる様に、マリスもようやく危機感を覚えたらしい。もてはやされた美貌の白皙がみるみる間に青く、すぐに怒りにどす黒く染まる。
 憎悪の眼差しから魔力が放たれた。
 だがコーディリアは瞬き一つせずそれを打ち消す。
 対峙してみれば呆気ない。マリスの魔力は正しい使い方を知ったコーディリアの前ではそよ風のようだ。
 そうしている間にいまになって現れた兵士が背後から接近するのを振り向かずに制する。魔力に絡め取られた兵士はそのまま他の者たちと同様に柱に縛り付けた。
(不思議だわ、なんでもできるような気がする)
 ロジエに流れる魔力がコーディリアの目となり手足となって、望みを叶えるための力を与えてくれる。背後からの危機を、離れた場所で悶え打つ兵士たちを、怯えた顔の住民や傷付いたヨハンを、そして目前のマリスの慄きを捉えることができる。魔法の同時発動も思ったより簡単そうだ。
 そんなコーディリアの万能をついにマリスも察したようだ。化け物を見るような顔は、すぐに憤怒の表情になった。
「なんだ……その力は。何をした!?」
「あなたは一生知らなくていいわ」
 魔力の流れを感じ、願い、求めて力を汲み出す方法を、この男は一生知らなくていい。奪って奪って奪って、そうすることが正しいと考えているこんな屑には。
 そしてコーディリアの神鳥の祝福を暴力として振るう愚かさもまた、屑に等しい。
 命を奪うために集まる魔力はそれでも青く美しかった。宝石を砕いたようなきらめきは怒りの火花で、殺意の剣光だ。雷光のような激しさはいまはない。けれど押し殺して煮詰めてきた感情は、魔力をさらに濃く青くしていく。
 射抜くのは頭か、それとも心の臓か。内臓を握り潰して痛みを味わせるのがいいか。魔力の刃で切り裂こうか。一息に首を落とそうか。空の高みから突き落としてみようか。どれでもいい、いまのコーディリアの魔力でならどんな方法も可能だ。
 マリスの瞳から魔力が放たれる。次々に向かってくると威力はなくともわずらわしい。
「この、このっ!! 俺を殺して、無事で済むと思っているのか!?」
「思っていないわ。当たり前でしょう」
 あなたとは違ってね、と淡々と吐き捨てた。人の命を奪うのならいつか自分がそうされても仕方がない。相手が自国の王太子ならコーディリアの人生の終わりに平穏はない。そんなことわかりきっているのだ。
 無為に過ごした十七年間。そしていつか来るこのときを待っていた一年間。長かった。苦しかった。
(……ああ、けれど……)
 廃された城の、生き返りつつある守られた場所で、二人で見た魔力を集める木の花の白さを、あの空の色を、彼の瞳の青さを、唯一の幸せとして持って行こう。最期のときまでそっと胸に秘めていよう。復讐心に満ちた醜い心に宿ったたった一つの美しいものとして。
「ええい、来るな、来るなぁ!!」
「それが最期の言葉?」
 一応聞く耳は持っていたが一欠片の情も持ち合わせていないような問いになった。幸せな日々の思い出はこの男に嬲られて塗りつぶされてしまうから心や感情を殺していたあの頃の自分が、より鋭利になって宿ったように思えた。
「さようなら」
 蒼白になるだけでここに至って謝罪のないかつての婚約者に失望する、自分に幻滅しながら、凝縮した魔力を放つ。
 美貌を歪め、助けを求めて周囲を見回し、為す術がないと悟って声なき悲鳴を上げる――そこまでだった。
 コーディリアの魔力波は放たれた直後、霧散した。
 何も起こらなかったことに誰よりもコーディリア自身が呆然とした。見ているものが信じられない。青い光が、魔力が、次々に解けて消える。縛められていた兵士たちは解放され、身を守っていた防壁が消失すると万能だった五感はただ人のものに戻った。青い顔で震えながら訝しむマリスに映る自分はどんな驚愕を浮かべているのか、知りたくない。
「っ痛ぅ!」
 そのとき左の手首に鋭い痛みが走る。そこで揺れる輝きに、コーディリアはそれが誰の意図なのかを悟った。
「……そんな……」
 信じられない。信じたくなかった。がたがたと揺れる腕に巻きつけた紐に吊るしてある指輪はコーディリアがかき集めようとする魔力を拡散してしまう。神鳥の一族が持っていた装身具なのだから、魔力や魔法に特化していて当然だろう。
 彼から贈られたそれがいま、コーディリアの決死の行いを阻んでいる。助けるどころか邪魔を。彼が。私を。
「っあ!」
 がつんと殴られた衝撃に倒れ込む。続いて背中を踏みつけられ、ぐうっと肺を潰すように踵がねじ込まれる。
「は、はははは! 馬鹿が! お前はそうやって這いつくばって俺を見上げるのがお似合いなんだよ!」
 錆び付いた高笑いが空をひび割れさせる。背中の後ろで両手を拘束され、髪を掴んで立ち上がらせられて不安定に身体が傾いだそこに強かに頬を張られる。二度。三度。意識が朦朧とするが、抵抗する気力などとうにない。何故と問うことに意味もない、だからコーディリアは空を仰いだ。
 美しい春の空。神鳥の生み出す風が吹く。
「……助けてくれないくせに……」
 左腕に巻いて吊るした指輪は彼の思い。ならば『殺すな』とあなたは言うのだろう。
 人の法では縛られず、一族の掟のもとに在る存在。決して個人的な感情で動けないし動かない。調停者であり魔力の守護者であり監督者。平等性ゆえに人の世への干渉を非推奨とする。その手が差し伸べられるとしたらそれは。
 ――もういい。少なくとも私ではない。
「私の邪魔をしておいて、代わりをするつもりもないのに……助けられるわけじゃ、ない、くせに……――!」
 コーディリアの悲鳴がひび割れた空を砕く。

 一年間余の逃亡の末、ロジエの人々の目前で、反逆者エルジュヴィタ伯爵令嬢コーディリアは王太子マリスにより、捕縛された。



 

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