第6章 決着の日
 

 翼公によるアルヴァ王国への内政干渉には、これまで私利私欲で政を我がものとしていた者たちへの審判も、不当な扱いを受けていた人々の救済や再審も含まれていた。
 それは王太子マリスも例外ではなかった。
 マリスの裁判はこれまでの者たちとさほど変わらない。主たる罪状を読み上げて間違いがないか確認し、他者から被害の訴えのあったものについて尋ねる。弁護人は誰一人としていないため、常ならば淡々と進むのだが、マリスの罪はあまりにも多かった。
「誰がそんなことを言ったんだ! あいつか、あの恩知らず!」
「静粛に。感想ではなく、事実を述べてください」
「いい加減にしろ、侵略者! 聖職者の分際でこの国を乗っ取るなど、神が許しても俺が許さん!」
 このように始終マリスが口を挟むせいでなかなか終わらない。神殿島で修練を積んだ聖職者たちは翼公に同道するだけあって理性的で疲れを表に出すことはなかったが、他の出席者を慮り、また興奮するマリスを落ち着かせるためにも何度か一時休廷を命じることとなった。
「はあ、まったく。あのきんきんとやかましい声をどうにかしておくれ。時間がかかってありゃしない」
 ロジエ領主代行の身分を与えられているウルスラがうんざりと吐き捨てる。
「マリスはアルヴァ王家そのものだわ。自尊心が高く、自らの過ちを認められず、気に入らないことがあれば他者に非があると主張する。成長できなかった哀れな子ども」
 グウェンが遠いものを思うように呟いた。帰還した王女、そして翼公の代理人として彼女も裁判に出席している。
(この後に及んで往生際の悪い人……)
 そんな二人に飲み物を供してため息を吐くコーディリアも最終審議の場に立つ予定だった。グウェンを通じて、そしてアルグフェオス本人からも伝えられていたからだ。
 ――最大の被害者として、マリスにどのような裁きを求めるか考えてほしい。それを汲んで最終的な審判を下すつもりでいる。
 グウェンからも伝えられていたアルグフェオスの言葉だ。起訴内容をまとめるに当たって他の人々にも聞き取りを行なっているが、アルグフェオスはコーディリアにも意見を求めていた。
 心を決めたそれを先日伝え、直接マリスに告げる機会が欲しいと頼み込み、今日ここにいる。
 再開の知らせを受けてウルスラとグウェンが大広間へ向かう。だがコーディリアも一緒に来るように言われた。
「翼公が、コーディリア嬢にお越しいただくようにとの仰せでした」
「わかりました。参ります」
 時間ではないはずだが、きっと考えがあって呼ばれたのだと理解して二人の後に続く。
 白い王女と黒い伯爵家の女主人、それに続く銀と青のコーディリアという三人はここ王宮では華々しく映るらしくあっという間に注目される。
 そして今日は特にコーディリアに視線が集まっている。マリスへの審判に参席し、裁きの場で何を言うのかを、王宮だけでなく国中の人々が関心を持っていた。無実の罪を着せられながら逃亡し、国民の窮地に身を挺し、死刑を命じられる間際に翼公に救われた一連の出来事は奇跡としてすでに多くの人々に伝わっている。どのような報復をするのか。死刑かそれとも。
「アデル。本当に、いいの?」
 先を行っていたグウェンが歩調を緩めてコーディリアの顔を覗き込むようにしていた。
「あなたの決めたことだもの、否定するつもりはないけれど……マリスを裁くことが辛いようなら、翼公にお願いしてもいいのではない?」
「いいえ、グウェン。私は大丈夫です」
 ここで逃げ出すなんてしたくない。もう一度あの顔を見て、たとえこれまでの月日を思い出して胸の痛みに襲われ、立ち竦んだとしても、言わなければならないことがあるからだ。
(どんな結末になっても後悔はしない)
 大広間の前まで来るとすでに裁判が再開されている声がかすかに聞こえていた。罪状の読み上げに時間がかかるので疲労の濃い女性たちに配慮したらしい。その声は聞こえないのにマリスが反論する声はぎゃあぎゃあとけたたましく漏れ聞こえてくるので、ウルスラとグウェンが呆れている。
「本物の馬鹿だね。ちょっとは大人しくして、罪を軽くしてもらおうとは思わないのかね」
「翼公への対抗心もあるようね。だって……ね?」
「……はい?」
 グウェンがコーディリアに意味ありげな目配せをする。だがその理由を問う前に扉が開いたので、コーディリアは疑問を飲み込むと真っ直ぐに前を見据えた。
 一歩、足を踏み出すこつりという靴音がささやかに響く。
「翼公も地に落ちたものだな! このような残酷な振る舞いをよしとするとは!」
 こつり。こつり。小さな歩みはマリスの声に掻き消される。だが一人、また一人とその音を聞きつけた人々が視線を向け、敬意を持って会釈や目礼を送ってくれる。
「次なる訴えは……」
「罪とも呼べぬささいな出来事をあげつらって人をいたぶって、その綺麗な顔で多くの者を騙して」
「批判的な物言いをしたという噂のみで投獄し……」
「お前たちには決して手に入らない国というものを得た気分はどうだ。さぞ楽しかろうなあ!」
 アルグフェオスは何も言わない。聖職者たちに並んでマリスの敵意と憎悪を浴びせられながら青い瞳は静謐なままだ。それがマリスの怒りを煽るとわかっていても一つとして言葉が届かないことを知っているせいだった。
「恵まれたお前たちにはわかるまいよ! 罪と連ねるそれが、この国を守るために必要であったと。国を守るため払わねばならぬ犠牲があるのだということを!」
「だったら」
 コーディリアの震える声が大広間に響き渡る。
「あなた自身がまず犠牲になるべきだった。民に責を負わせる前に、王族である、次の国王の資格を得たあなたが」
 先を行くウルスラとグウェンが諦めの表情で振り返り、左右に控えて道を譲る。そこを突き進んでコーディリアはマリスの背後に立つ。
「あなたが、あなた方王族が他に犠牲を求めることなく破滅すれば、この国はこんなに長く苦しむことはなかった」
 マリスが首を向け、愕然と目を見開く。
 銀の髪はそのまま流し、青い髪飾りを着けて、神殿島で仕立てられたかの地の民族衣装に身にまとっている。以前アルグフェオスが贈ってくれた、大きな袖が振り下がり青い帯で腰を締めるあの装束だ。
 異国の衣装を身につけ、堂々と王太子に意見する。恐らくかつてのコーディリアを知る人々にとって別人のように映ったことだろう。マリスもまた例外ではない。言葉もなくコーディリアを見つめている。
 静寂が戻ったのを幸いと、次々に罪状が伝えられていく。その数の多さに、コーディリアの知らない人々の訴えを元にしたそれらに、マリスが取り巻きからすらも見放され、愛を交わしたはずのレイラ・オードリン男爵令嬢すらも残らず、何もかも失ったのだと理解せざるを得なかった。
「以上、ここまでがマリス・アクア・アルヴァ王太子の罪状となります」
「告発者の一部は死刑、あるいは王位継承権を剥奪し王籍から除名した上での国外追放を求めております」
「っな、何を、全員結託して俺を死刑にするつもりか!? お前もか、コーディリア!」
 顔色を失うマリスにコーディリアは静かな視線を返した。
「ええ、そうね」
 好きな髪型やドレスを楽しめないとき。親切にしてくれた人たち、様々な知識を持ってそれを教えてくれた人たちの行方が知れなくなったとき。好きな本や音楽や絵を馬鹿にされたとき。壊されたときもある。悲しみ、怒り、許せないと思いながら胸に封じてきたけれど、その思いを一言で表すならこうだろう。
「この手で殺してやりたいと、いつも心のどこかで思っていたわ」
 マリスがわなわなと震え始める。
「誰に、そんな口を。婚約者に!」
「家族でも兄妹でも恋人でも夫でもない、婚約者ね」
 血縁や心の繋がりがあればまた違っただろう。だが『婚約者』は赤の他人だ。そこに愛情がなければ約束で縛められた不自由な関係でしかない。
「けれどたとえ家族や夫であったとしても、あなたの振る舞いは目に余った。むしろもうとっくに手を下していてもおかしくはなかったでしょうから、婚約者で、他人で、本当に幸いでしたわね」



 

    NEXT>>
<<BACK    


> MENU <


INDEX