第6章 復讐劇の終幕
 

「召喚に応じてくれて感謝する、コーディリア・エルジュヴィタ嬢」
 いつまでも続きそうな言い争いを止めたのは、沈黙していたアルグフェオスだった。こちらへ、と近くに来るよう求められ、頭を下げて応じる。
 アルグフェオスのわずか下手、今度は真正面からマリスと相対するコーディリアに彼は言った。
「マリスの行いの被害者の一人である君に意見を求めたい。主たる罪状と個々の訴えを踏まえ、君は彼にどのような刑が妥当だと思うのか」
 公平を謳う青の瞳は密かに告げている。コーディリアが答えを告げたときと同じ言葉を。
『君の望むままに』
(何があっても。どんな結末に至ったとしても)
 心の在り方を確かめて口を開いた。
「数多傷付けられた人々、失われたものたちはいかに時間をかけようと取り戻せるものではない。過ちを認めることなく己を正当化する愚かさ、いまここに至っても反省の弁を口にできない独善的な性格はこの先矯正を望めるものではないと思います」
「俺を殺す? お前に出来るのか、コーディリア!?」
 恐怖を繕って言い放つのは、言い負かすことができれば勝利を感じられるから。恐れと躊躇いを突きつけ迷わせることで『お前は弱い』と悪罵する。ずっとそうしてコーディリアは無力さを自覚されられてきた。
「手を汚せるのか。俺に死を与えて、それを一生背負えるのか、お前に!」
 でも違う。かつてコーディリアを詰ったオードリン男爵令嬢レイラは正しかった。
(無力でも、怯え、思い惑ったとしても、いつだって私には力があった。なかったのは一つ。私が、私自身を信じる気持ち)
 選択を受け止める覚悟。未来を望む思い。立ち塞がる困難をきっと乗り越えていけると自分自身を信じること。
 そうすればどれだけマリスに振り向いてもらえず大事にされなくても、黙って笑って耐えることはなかった。行動を起こし、命を失うことになっても私は間違っていないと誇り高くいられただろう。こんな、無様な元婚約者を見ることもなかった。
「あなたにはできない。でも、私にはできる。ずっとそうだったでしょう?」
 政を疎かにしてコーディリアが肩代わりをする。出席が面倒になってコーディリアだけが行事に参加する。顔を合わせたくない者にはコーディリアを当てがい、時間がかかる仕事は自由時間がなくなるからと投げて寄越す。覚えがないとは言わせない。
 告げられた罪状が変わることはないのに大声で遮ってなかったことにしようとする。
 すぐに忘却し、手を汚したのは自分でないとマリスが主張するならコーディリアは逆のことをする。
「一生忘れない。いつまでもこの手に、払った犠牲の色を見るでしょう。青姫と呼ばれ称えられようとも、決して清廉潔白ではないことを私自身が知っている」
「コーディリア……こ、こんなこと……お前は優しい、慈悲深い女で……なのに、俺を!」
 命乞いは届かないと悟ったのだろう、マリス自身ががらがらと崩壊してもおかしくない様子でみるみる力を失っていく。哀れみと、わずかな悔恨の一瞥を向けたコーディリアはゆっくりとアルグフェオスに向き直った。
「翼公アルグフェオス閣下に、マリス・アクア・アルヴァの助命をお願い申し上げます!」
 あたかも風を吹かせる一声だった。
 ウルスラとグウェンは諦めの面持ちでこの展開を受け入れているようだったが、大広間を警護していた者も傍聴していた重臣たちも驚愕に立ち尽くした。マリスに至っては何が起こったかわからず呆けており、顔色を変えない訓練を経た聖職者たちも動揺し、微笑みを浮かべるアルグフェオスを伺っている。
「ならば国外追放が望ましいと?」
「いいえ。王位継承権を剥奪し王籍から削った上で、アルヴァ王国の一官人として国に尽くしていただきます」
 王族ではない。その下位に位置して仕事を振り分ける重役でもない。ただの公人。これまで見下してきた魔力を持たない下級貴族と同じ位置、使われる立場だ。
 それでも命は助かり国内に留まれる。
 甘い、と白眼が向けられても自分を奮い立たせたコーディリアには何の恐れにもならなかった。
「官人ですから、少しでも手を抜けば同じ勤めを果たす者たちに責められましょう。民に近ければこれまでの行いによる憎しみや侮蔑の言葉を投げつけられ、報復を受けることもあるかもしれない。誠意を持って努力しなければ決して評価されないものを、彼は最初から負債を抱えてことを始めなければならない。困難と苦痛に満ちた日々となるでしょう。死を命じられた方が楽だったと思うくらいに」
 これまでの特別な待遇をすべて奪い、国のために働けという。これほどマリスにとって屈辱的な罰はないだろう。だが本来なら優遇される立場である王族として国に貢献しなかった彼に責任があるのだから、不当と詰られる筋合いはない。
「王族でなくなったとしても、国内外の貴族と結託して反乱を起こすかもしれない。アルヴァ王国そのものが失われる結果となる可能性もある。そのとき救うに足る理由がなければ私はこの国の滅びを静かに見守るだろう。それでも君はマリスの助命を願うのか?」
 コーディリアの望むように、とアルグフェオスは言った。マリスの言動を改めて目の当たりにし、失望して、先んじて伝えていた助命を撤回して死刑を求めたとしても彼がコーディリアを責めることはないだろう。
 しかし、頷いた。はっきりとした返答とともに。
「はい。けれど翼公のお手を煩わせるまでもなく、そのときが来れば今度こそ私がこの男を殺すでしょう」
 笑みを溢す代わりにアルグフェオスは目を細めた。
「貴重な意見をありがとう、コーディリア」
 下がっていいと頷かれたコーディリアは最後にもう一度マリスに向き直った。
 マリスのわななく口元から飛び出すのは罵倒と侮蔑、情けをかけられたことへの羞恥や偽善を笑う言葉だったのだろうけれど、どれ一つとして形にならず、荒々しい息として吐き出されていく。
 無様だった。見苦しいと思う。そう感じてしまう自分自身にもコーディリアは嫌悪を覚えた。
「――あなたを絶対に許さない」
 感情を抑えた声は地の底をなぞるように低い。
「生きて、生きて生きて、苦しんで、誰からも愛されず、不幸な日々を送ってほしい。だからこその助命だということを忘れないで」
「コ、……ディ……」
「それでも私に報復を望むなら、どうか幸せになってください」
 マリスが紫の瞳を見開いた。
 御前を失礼いたします、とアルグフェオスに頭を下げて、来た道を戻る。ウルスラとグウェンが、居合わせた人々が、毅然と去り行くコーディリアを見送る。
 扉を出る前にもう一度深々と膝を折る。
 顔を上げて出ていく瞬間、今度こそマリスがすべての力を失って崩れ落ちるのが見えた。
 これがコーディリアとマリスの最後だった。
 退室したその足でコーディリアは奥庭へ行き、たどり着いた東屋で、一人涙を流した。
(やっと、終わる。やっと……)
 アルグフェオスに助けられてから散々泣いたというのに、長らく心に閉じ込めた最後の痛みがやっと溶け出したのだ。
 この涙が止まったら、もう二度とマリスのことで泣かない。悲しまない。怒りも憎しみも手放して、今度は大切な人たちを笑い合う日々のために困難に耐え、努力する。自分を押し殺して自らに足枷を嵌めていた日々には二度と戻らない。
 頬を流れた涙の一雫に、幼いコーディリアとマリスが初めて出会った日の記憶が小さく煌めいて、消えた。



 

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