日々の眺め 三 ひびのながめ さん
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 出くわしたのはセイラ・バークハード騎士団長だった。クロードは、元々の性質から刃物を持っている人間が苦手だ。特に鋼を帯びている者の気配を強く感じる。いくら女性とはいえ、セイラは騎士団長に任ぜられるくらいなのだから、馬も操るし人も斬る。だから、彼女を前にするとクロードは少し怯んでしまう。例え、それが人好きのする美しい笑顔を浮かべていたとしても。
「御機嫌よう、クロード様。どなたかをお待ち?」
「ごきげんよう、バークハード騎士団長。ええ、アンバーシュを待っています」
 東翼の一階、小庭を前にした廊下には、秋のしっとりとした木漏れ日が落ちている。色づいた木の葉が、落ちる時を待って枝の上でかさこそと囁いていた。山脈から吹く風があって、夏があっという間に終わると平地でもぐっと冷え込む。
 だが、セイラはちらりとクロードの全身に目を走らせた。その口元に、淡く、年上のような微笑が刻まれる。
「新しい上着ですわね。お似合いですわ」
 クロードは頬を染めた。
 制服であるセイラはさほど変わらないが、クロードは襟首の高い上着を着用していた。しかし、元の姿が動物であるため、魔法の力を使えば薄着でも防寒が可能だ。それでもこれを着用しているのは、贈り物だからに他ならない。
「ええ……仕立てていただいたので」
「ミザントリ様に? まあ、仲睦まじいことで何よりですわ」
 すでに公然の仲になってしまった上、いちるを中心とした彼女たちにはそれぞれの事情が筒抜けになっている。クロードの恋人は節度のある人だから、障りのある私生活の話をしないだろうが、この人たちに突かれると厄介だなとちらりと思った。ミザントリは優しい人で、相手のことを尊重するあまり、ぽろりと漏らすということもないわけではなさそうだからだ。
 そこで、セイラがちょっと首を傾げた。
「ねえ……クロード様。わたくし、以前からミザントリ様に事情をお窺いしていたんですの。お二人がちょっとすれ違っていた頃……」
 つつっと側に来られ、囁くように言われて、クロードは微笑を浮かべ、心持ち一歩退いた。嫌な予感がする。
「はい、その節は、大変なご迷惑を……」
「ミザントリ様は悩んでいらっしゃいましたわ。自分の位置も分からず、憧れを胸に抱いている小さな少女のようでらした。でも、わたくしにはあの方が大事に愛の種を抱いているところが見ていましたのよ。だからこそ応援したわけですが……クロード様? クロード様は、ミザントリ様のどんなところを愛おしく思われたの?」
「っ!? ええと…………」
 どんな搦め手で来られるかと身構えていたら、意外と正攻法だった。虚をつかれ、息を呑み、よろめいた。しかし、相手は騎士団長、逃亡の気配があるとさっと身体を回して行く手を阻む。
「騎士団長、それは、その、それは……」
「わたくし、お二人がすれ違っているときはとっても胸を痛めていましたのよ。お二人がうまくいくことを心から祈っておりますの。でも、曖昧な態度ではミザントリ様がお可哀想じゃありませんか。わたくし、安心したいんです。ミザントリ様が、心からお幸せなのだと知りたいのです」
 目を伏せ、眉を下げた。かすかな溜め息が震えていた。さすが、城内で悪女とあだ名される魔性の人だとクロードは思った。真実そう思っているように感じられる。いや、多分半分くらいは本当の気持ちなのだろう、とそう思わせることに意味があるに違いない。アンバーシュは何を言っても本音と建前の二面をちらつかせ、いちるは裏側から突くような言葉をぶつけてくるが、どちらにも受け取られることを知っているセイラの言動は、なかなか手強い。
 クロードは咳払いをした。どちらにしろ、この人は退いてくれないだろう。
「ご心配をいただき……ありがとうございます」
「いいえ」
 言いながら、セイラはにっこりと笑うものの動こうとしない。
「彼女を思ってくれるご友人がいて、私も嬉しいです」
「いいえ、こちらこそ」
 少し言葉を切る。見下ろしたセイラは、笑みの形を少し変え、目を細めるようにした。ちょうど日差しが動いて、影が出来たせいで、彼女の虹彩がわずかに形を変じたのが見て取れた。遅れて風が吹いて、涼しい大気が指で掻き混ぜたように緩く渦を作ったようだった。
「……あの人が時を刻んでいく、そのひとつひとつが愛おしいです。初めて知る彼女のことも、これから変わっていく彼女のことも、きっと愛おしいものになるでしょう。いつか私の手の中から失われるけれど、その手の中で一生懸命に私を見ようとして、求めてくれる彼女が、愛おしい。――私は、あの人の、やってくるものに目を逸らさないでいようとする弱さと強さを、何よりも愛しています……」
 廊下の向こうからやってきた官吏たちが、クロードとセイラに一礼して通り過ぎていった。彼らは特にこの様子に気付いた風でなく、振り返りもせずに去っていった。恐らく、セイラの微笑みが今まで以上に優しいものだったからだろう。
 クロードは、自分が彼女より遥か年上だということを忘れそうになる。そう、と言った彼女は、こうだったらいいと想像する、ミザントリの母親のような、ふっくらとした笑顔だった。
「セイラ殿」
 呼びかけに、彼女は首を傾ける。
「……ミザントリを、よろしくお願いします」
「それはわたくしの役目ではありませんのよ。お分かりでしょうけれども」
 つれない言い方をしたセイラは、いつもの蓮っ葉な態度に戻っていた。
「でも安心いたしましたわ。ええ、安心しました。そういう形がいいですわね。少なくとも、あの方々のようなのは、面倒だし鬱陶しいし重苦しいですわ」
 誰のことを言っているのか分かって、クロードは苦笑した。自分たちが軽いというわけではなかったが、それでもあの二人の持つものは重いのだ。身に相応とは、とても言えない。少なくとも、一対の愛に、神の在り方を問うことは。
「それでは、わたくしはこれで。ミザントリ様によろしくお伝えください」
「はい。ありがとうございました、セイラ殿」
 しなやかな背中を見送る。大丈夫だ、という気持ちが胸にある。きっと、大丈夫だ。クロードの大事な人は、今、守られている。だからきっと、最前のことができる。周囲の人々に助けられて、よりよい未来を選ぶことができる。
(その希望を最初に示してくれたのは……)
 自分勝手で、我がままで、弱虫の。
 だから、自分も守ろう。精一杯の力で、彼らに幸せが訪れるように。そういう形で、自分たちはあの二人を守っていきたいのだと、クロードは思う。
 扉が開き、声が呼ぶ。
「クロード、お待たせしました。行きましょうか」

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