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神殿に行くと、すでに火葬が始まっていた。拝殿の奥の門を開けると火葬場になっており、炎が燃え盛っているのが見える。カレーナと同じく死者を見送る遺族が拝殿には溢れ返っており、すべての遺族が一緒くたに見送りの言葉と祈りの言葉を口にする。人いきれと、焼けるにおいが充満して、下層民の死というものはこういうものだったとセイラは思い出した。
遺族は黒いものを身につける。黒い石でも、布を首に巻くのでも構わない。全身黒い喪服を用意できるのは中流階級からだ。嫁入りの時に喪服を用意させる家もある。汚れではない本当の黒衣をまとえる者が高貴であるという考えは、悪女ネイゼルヘイシェ夫人の好んだ色がそれだからだと言われている。セイラは地味な仕立ての服に手袋と帽子と襟巻きだけを黒にしていた。
火葬が終わると、神官が骨をまとめる。カレーナがそれを受け取るのを見届けたセイラは、側に行って声をかけた。二人並んで、共同墓地へ向かう。
王都の共同墓地は、東側の公園の奥まったところにある。森を越えた向こうに、あまり人目につかないように隠されている。貴人の墓も同じところの、北側の丘にある。
ふと、もしアンバーシュが死んだらどこに埋葬されるのだろうかと思った。いちるも、どこに眠るのだろう。そもそも、骨は残るものなのか。聖なる骨だとかなんとか言われて、神殿預かりになってしまうのだろうか。いちるの嫌そうな顔が浮かんだ。
命は消えれば、二度と戻って来ない。どんな形でも。
それでも、二人は共に在りたいと願うのだろうか――普通の人間のように。
他の人々と同じ場所に骨壺を収め、石で閉ざす。それで埋葬は終わる。後は墓地管理人が、掃除をしたり、時々花をくれたりする。カレーナはそれを淡々と見守っていた。まるで、見えているものが別の世界の出来事のように、彼女の影が希薄になっていくのを感じた。
(去りなさい)
セイラは胸の内で唱える。影と影の狭間、人々の悲しみの色を繋いで膨らませる、魔性の者に向かって。
(去りなさい。悲しみに巣食う者ども。この子の不幸を糧になどさせはしない。今ここに現れるのなら、わたくしがお前たちを消し去ってやる)
埋葬が終わり、締めくくりの言葉を聞いて、人々は解散を始めた。セイラはカレーナに空腹かを尋ねたが、首が振られ、それよりも仕事に行かなければという。髪をまとめていた黒い布を解きながら、日常へ戻ろうとする。しかし、彼女はふと顔をしかめた。
「大丈夫? 顔色、すっごく悪い」
「あなたよりはましよ。仕事に行くんでしょう。しっかり食べて、休むようにしなさい。何かあったら知らせてくれればいいから」
「うん……何から何まで、本当に、ありがとう」
「騎士団長!」
鋭い声が呼ぶ。ぱっと振り向いたセイラは、墓地の入り口から走ってくる兵士を見て、素早くそちらに向かっていった。兵士は腕を水平にし、拳を胸において告げる。
「緑葉騎士団所属、王都防衛隊マーク・スヴェルトです! 近衛騎士団副長閣下ならびに緑葉騎士団長閣下より、伝令です!」
大気の、嫌なざわめきを聞く。
「王都南部より魔眸が出現。形状は砂嵐。アンバーシュ陛下の名の下、騎士団は王都防衛に務めよとの由。騎士団長閣下には至急、城へお戻りいただくようにと!」
「避難指示は?」
「神殿に伝令が行っています。直に鐘が鳴るかと」
そう言っている間に鐘が鳴った。何事かとやり取りを聞いていた参拝客たちが怯えた様子でどよめく。セイラは言った。
「定められている通り、直近の避難場所へ向かってください。ここならば神殿です。警報が解除されるまで、無闇に外を歩き回らないように。命の保証はしかねますわよ」
「セイラさん」
「心配しなくていいわ。王の膝元ですもの。王がなんとかなさるでしょう。だから怪我をしないためにも、避難しておきなさいね」
頷く彼女を置いて、セイラは走る。
今回の魔眸の形状は、無数の砂のように細かく、嵐となって南から吹いてくるのだという。最初に遭遇したのは王都へ向かう途中だった商人で、街道を横切る形で黒い嵐が移動するのを目撃した。嵐が通り過ぎた跡を確かめてみると、草が枯れ、ぼろぼろに崩れたので、急いで馬を走らせて知らせにきたのだという。
魔眸は一直線に王都を目指しているわけではなく、目的なくうろついていることが知れた。規模も拡大している様子がないため、時間が経てば霧散する可能性もある。だが、時期が時期だけに被害を広げたくないという意識もあって、結局、宮廷管理庁が法具使用許可を下すに至った。
急いで動きやすい服装に着替え、道々報告を聞いた。会議の間に行くと、すでに人が揃っている。セイラが最後だ。末席について状況を聞く。
この魔眸の出現によって近隣に潜むものが活発化しないか、目を光らせなければならない。結界の発動も視野に入れなければならないとなると、また一仕事だ。王都の守護結界は、神々が敷くものとは違って物理的な干渉を行うものらしく、発動してしまえば閉め出される者が出てくるのだという。だがそれも、この百年動かされたことがない。
「他国からの賓客や旅行者が多いゆえ、慎重を期さねばなりません。ただ、アンバーシュ陛下から、結界石の確認をと事前に御命令があったので、発動に支障はないと思われます」
「不幸中の幸いか。こんな時期でなければ、アンバーシュ陛下にお任せしてしまうのだが」
「陛下のお力を示す機会にはなりましょう」
エルンストの言葉に、インズ宰相は疲れたように笑った。
「確かに、各国各地の来訪者はよい観客にはなろうな。だが、あまりそういうことは言うものではない」
「場を和まそうと思ったのですが、失礼いたしました」
話題は街の防衛に移り、避難指示は滞りなく、目立った被害はないと確認された。ここまでになると出来ることはほとんどない。もたらされる報告を見落とさぬよう、情報の共有に務めつつ、魔眸の消滅を待つ。
「アンバーシュ陛下はすでに出られたのだろう」
「はい。報告を聞くと、馬車に乗って」
(それにしては戻ってくるのが遅い)
セイラは窓辺に寄って空を見た。魔眸の出現や対決を肌身に感じたことがある者は、何らかの形でそれらの存在を感知できる。最も変化が現れるのは空気だ。大気が濁り、空が曇ったり、嫌な気配を感じると、魔眸が近付いている。他にも、水が揺れたり、植物が嫌な気を発しているなど感じる者もいる。
今の空は、青いのに黒い布を通したかのように暗く、夕方のように気温が下がっている。魔眸が消えていないことをセイラに知らせていた。
「結界を準備いたします」とロレリアが言った。
「何か嫌な予感がします」
「私もだ」とインズが答えたときだった。廊下を何者かが慌ただしく駆けてくる音がして、騎士が飛び込んできた。
「申し上げます! 暁の離宮の女官がご報告を!」
「失礼します! イチル姫の部屋に何かがおります!」
一瞬にして空気が凍った。
肩で息をしたジュゼットは焦った声でまくしたてる。
「部屋に入れません! 壁があるみたいにぶつかってしまうんです! 中には姫様とミザントリ様がいらっしゃるのに」
「セイラ!」
呼び止める声を聞かず、東翼へ走る。暁の離宮に何かが凝っているのを感じ、足は速くなった。警護の兵士が緊張の面持ちでセイラを迎えた。何人かが部屋の前で扉に剣を突き立てようとしているが、傷一つ着けられない。女官たちは青ざめた顔でそれを見ている。セイラは剣を抜いた。
騎士の中でも、特別な剣を授けられた者を神授騎士という。神授騎士団は近衛騎士団の上位団で、所属は宮廷管理庁にある。つまり彼らは神々の領域に関わる専門家でもある。
ただ、彼らの持つ魔眸との対決を可能にする武器は、一部高官にも授与されている。特に、剣に関わる者、その長には、巫としての力がなくとも記念として預けられるものだった。
セイラの剣は扉に張り巡らされていた壁を切った。ぱん、と割れる音がしてセイラが扉を蹴破ると、そこでは漆黒の柱が、いちると対峙しているところだった。
柱には、目があった。青白く燃えるような形の定まらない光だった。それを認めた瞬間、セイラは激しい頭痛を覚え、膝をついた。吐き気がし、息が出来ない。
「ひ、め……」
あれが本体で、外をうろついているものは囮だったのだ。
揺れる視界の中、寝かされたミザントリが見えた。気を失っている。目を見てはいけなかったのだ。あれは視界に入れることで精神的に影響を及ぼす影だ。風など起こるはずもないのに荒れ狂う部屋が見える。明滅する視界に、いちるの眼差しだけが、静かだ。
影は、はたとセイラを捉えた。
『お前の望みを知っているよ……ひひっ』
影が笑う。ねっとりと囁きかける。
『本当は、お前は望めるはずなのに。望んでしまえば、簡単に手に入るのに』
「何を……」
『怖いのかね? 人に後ろ指を指されるのが怖い? 今更だという気もするがねえ。お前はだって、そうやって生きてきたじゃないか』
微笑みの毒。
麗しい嘘。
生まれ育ちがそうならば、使うことを厭う必要はない。汚いと蔑むのならば、お前たちは自身を見返るべきだ。清廉潔白を崇めるなら崇めておけ。侵したりなどしない。価値もない。わたくしはそういう生き物ではないもの。
『ひどい女だ。あの男を墜落させるためだけに寝るのか』
『違う、私はそんなこと言ってない。嘘をつかないで! なんて……なんてひどい。私を貶めるために、近付いてきたのね!?』
『あなたの望みを叶えてあげる。でもその代わり、きちんと対価は支払ってね』
『あなたの身体はとても綺麗だが、性根は腐っているんだね。でも、嫌いではないよ』
いくつもの声が閃いていく。涙など流すものかとセイラは心を強くした。後悔などしない。必要なことだった。誰にも守られずに生きるためには、身体を張らなければならないものだ。もう顔も名前も、思い出す気がなければ出てこない。
ぱっと、光が瞬いた。
一瞬だというのに、白く焼きついた。
その時最後に見えた男の顔は、腹が立つくらい見知ったものだった。
(……ねえ、アンバーシュ)
ヴィヴィアンはそうやって、あの男に光を見たのだろうか。手段を選ばなかったセイラの手を取り、添い寝させるだけの形ばかりの愛人に据えて、彼はセイラが身を滅ぼしていくことから掬い上げた。騎士として位を上げていったのも、異例の抜擢も、彼女に対する罪滅ぼしだけだとばかり思っていたけれど。
そこまでして、アンバーシュは何を守ろうとしたのだろう。優柔不断で疑り深くて、隙を見せると笑顔でそこを突いてくる最低の男だけれど。
(あの方を、心から愛していたと、信じて、いいのかしら)
だったら、手を貸してやってもいい。
あなたが守ろうとするものを守ってやる手伝いくらいは。あなたの手の及ばない暗がりに息をひそめているくらいには、セイラはいちるのことが気に入っている。
――汚れるのはあたしだけでいい。
呟いた時だった。その光景が見える。ふとした時に蘇る。他愛ない少女の頃の風景。
ピアノの前に座る、眼鏡の少年に、セイラは手を伸ばす。
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