「……ライヤ」
「んー?」と気のない返事を、呼びかけられた科学者はした。
「お前、驚いていなかったな」
UGであるジャンヌが【魔女】であったと聞いた時、本部は一瞬凍り付いたのだ。開発部の者たちはそんな研究対象がこんなところにあるなんてと思い、なんとかして中身を確かめたいと考え、戦闘部隊のトップたちはどれほど脅威なのか計算し、オペレーターたちはジャンヌの顔を思い浮かべ、一部の男たちは彼女の肢体について考えたことだろう。
ライヤは「まあねー」とやはり適当な応じ方をしている。第一階層から来たので、今のライヤの服装はいつものよれよれの白衣ではなく、春を感じる柔らかい色のセーターとスラックスだった。いかにも上流階級の家着という感じだが、赤ん坊のように髪を頭のてっぺんで留めている姿は、どう見ても威厳がない。それが、めまぐるしくモニターを飛び交う記号の繰り手なのだから、詐欺ではないだろうかと思う。
「知ってることに、驚く必要なんてないんだよ」
性別や年齢を排除した高さも低さもないような声が言った。
ボスは腕を組んだ。慣れたつもりだったが、こののらりくらりとした秘密主義は適わない。自分たちはUGを率いる立場であり、エデンの今後をも考えなければ鳴らないのだ。戦って、勝って終わり。それは許されない。
「お前は何を目指している?」
「あー! 『フォーリング・ヴェロニカ』、今週末までなんだ! 見たかったのになあ!」
見たいなあ、行こうかなあ。身体を左右に揺らして言うそれは、行かせてくれよと暗に訴えている。
「母星を捨てるってどういう気分なんだろうねえ」
何かを感じて、ボスは目を細めた。
「人間が文明を維持できるくらいの船って、どんだけでかかったんだと思う?」
またあの奇妙な声がした。
注意深くライヤを見た。この男はそういうところがあった。すべてを知って、あるいは推測をして、しかし決してそれを口に出さないところが。それは、ボスに言わせれば、あのリアと呼ばれた女と変わらない性質だった。物事の本質を、万物の真実を、その身で理解しながら、周囲からの理解を拒絶する。
がしゃり! と音がして、パソコンのモニターが揺れた。多分、数本のコードが飛んだだろう。映像は乱れ、ライヤは固まった。目の前の同胞が握りつぶしそうにしているモニターから、ゆっくりと顔に目を移していく。
「何を隠してる。話せ」
ライヤはちょっと真顔になり、笑った。
「やだ」
ボスは渋面を作った。
「やだったらやーだよー。……でも、別のことなら話せるよ」
だからモニター壊さないで。お願いされたので、放した。ライヤはパソコンからボスに向き直ると、困ったように気だるく椅子にもたれた。
「ジャンヌの、【女神】との接続機関。あれを利用して、【女神】を乗っ取る作戦を考えてる」
「接続機関がないと言っていなかったか」
「さすがボス。冷静だねえ」
「茶化すな」
「ごめん。……あるんだよ、保管してた人間がいる。それを使って【女神】に入り込む装置も作ってた。手を加えれば、強い戦力になると思う」
しかしどこか疲れた様子でもあった。あまり頼りたくはないとありありと見える。聞き捨てならなかった。最強のプログラム、統制コンピューター【女神】に入り込めるような装置を開発できる人間が、ライヤ以外にいるとは思えなかったからだ。
「その人物とは?」
「自分のことは秘密裏にすること、UGが、エデンを変えることを目的とすること。それを条件に協力すると言われたから、言わない」
ライヤはきっぱりと言った。
「オレとしてはそれは最終手段にしたい。【女神】と戦うには本体を叩けばいいだけなんだ。【女神】は第三階層にある本体でしかキャパを受け止めきれないだろうし、それを抑えれば勝てるとは思う。ただ……」
「直接相対しないと、相手が何を考えているのか分からない」
言うと、ライヤは苦く笑った。
「ほんと、そういう勘がいいねえ。カウンセラーにでもなったら?」
「今で手一杯だ」
UGの首魁は毎日誰かしらの訪問を受けている。組織に関する相談事もあれば、個人の悩みも聞く。本部の奥で座っているだけでも、実はかなり忙しいのだった。それを分かって、ライヤはくすくすと笑った。
「そうなんだよね。リアが何を考えてるか、オレには分からない。何を目指し、何を望んで【女神】になったのか……オレは聞かなくちゃいけないと思う」
リアの手を放したことを悔いているのか。問うことは簡単だったが、ボスは口を閉ざした。第三階層からともにやってきて、ライヤはセシリアに対して何らかの働きかけをしようとしていたのだ。それに失敗し、こうして対立することになってしまった。悔いているに違いなかった。
「あーあ。こんな時にアヤがいてくれたらなあ」
ライヤはそう言って両手両足を投げ出した。
「っていうかさ、オレとアヤがリアのためにやったことって、全部届いてなかったってことじゃない、リアが【女神】になったってことはさあ! ほんと、何考えてるんだよー!」
「世界の維持。エデンの統制」
ボスは呟いた。
「第一階層やアンダーグラウンドの現状を見てなお【女神】による統制を選んだ……その思惑には、何がある?」
あの超然とした女が望むもの。
「リアのばっかやろー!」と叫ぶ男を見て、ボスはちらりと思ったことを打ち消そうとしたが、うまくいかなかった。
*
エクスに会ったの? と紗夜子は聞いた。
「それは、あんたが立ち入る問題じゃないわ」
ゆっくり、足の向きを変えつつ言い放てば、紗夜子はちょっと顎を引き、だって、と言った。お人好しめ、とジャンヌは舌打ちした。あんたが気にしなくても、あたしはもう全部知っている。
あの人があたしにしてきたこと。その秘密。自分が何者なのか、どういう存在なのかを知れば、その断片的な記憶を繋ぎ合わせていけば分かる。自分がどういう機関を奪われ、どういう処理を加えられてきたか。
そして、今まで知らなかった人物の過去が分かるようになった。ライヤ・キリサカの周辺、三氏の状況、妹たちの記憶。エクスリスの過去や――あの白い少年の事情。
あの子は、きっと、名前を呼んだら驚く。
目を丸くして、君は誰? と聞くのだろう。
「……どうして笑ってるの?」
おかしかったからだ。紗夜子は困惑し、怯えたような顔をして不安そうにこちらを見ているが、それを笑い飛ばす。
「もうあの人には会わない。あたしにできることはもう何もないから」
そう言ってから、ジャンヌは紗夜子を引っ張っていった。
「あんたには話しておく。きっと、誰も、話す機会なんてないだろうと思うから……」