招待状は、本当に送られてきた。第一階層代表であるライヤ・キリサカ宛にだ。
連名の差出人になっているそれは、存在を秘匿されている紗夜子やユリウスの存在をおおっぴらにしても意味はないため、本当に、ごくごく普通の、知人が出してきたような招待状のように思えた。
銀箔が刷り込まれた紙片をぺらぺらと弄んでいたライヤはにやにやしていた。
「ばっかだねえ。正々堂々、第三階層に乗り込む理由になるじゃーん」
「その口調は、改めておけ」
ボスが釘を刺し、ライヤはぺろりと舌を出した。
そして、ついにその日がきた。
正装に身を包んだライヤの前に、トオヤ、ジャック、ディクソン、マオ、ジャンヌ、そしてUG先攻部隊の面々が、一張羅に身を包んで現れる。
「準備は?」
「お祝いの品に混じって運搬中!」
「一応隠し持っています」
マオとディクソンが答える。
ライヤはちっちっと指を振った。
「それじゃあだめだめ。はい、これ」
無造作にジャケットのポケットに手を突っ込んだかと思うと、金色のピンバッチを大量に取り出してきた。意匠は数種類あるが、見た目に反して、結構重い。
「第三階層のマスターに、偽造情報を読み取らせてくれるICチップ付きピンバッチ! 武器持ってるとすぐバレちゃうからね。全員分あるからちゃんと身につけておくこと。落とすなよー」
「まじで全員分ありますけどー……」
マオが恐ろしいといった口調でトオヤを仰ぎ見る。トオヤも、これが父親だとは信じたくない。
「もうっ、ライヤさん天才っ! かっこいいっ!」
「マオ、天才と変人は紙一重だ。覚えとけ」
身体をくねらせる正装した成人男性を指差して言う。
「ひどーい、トオヤくん!」
「うるせえ。褒められたかったら、この作戦の後にしろ」
ライヤはぱちっと大きく瞬きし、次ににやっとした。
「りょーかい、戦闘隊長」
トオヤがふっと笑うと、それににこっとしたライヤは部隊に向き直った。その傍らにゆらりとフロックコートの裾を揺らし、ボスが現れる。
UGの首領は、静かな眼差しと落ち着いた表情で部隊を見つめる。一人一人がその視線に、真っすぐな瞳で返しただろう。臆することなく、怯えがあったとしても閉じ込め、これから汗と涙と血に濡れる恐怖を打ち壊すことを決意したはずだ。
常日頃物静かな首領が「諸君!」と発した。
声は朗々とし、太く。腹の底を踏みしめるような力強さがあった。
「諸君はこれから結婚式に出るのであって、戦いにいくわけではない! しかし、第三階層はUGにとっては未知の敵地であり、自分の身は自分で守らねばならず、迷い込んだところが【女神】のサーバールームであるなら、諸君らは任務を思い出さねばならないだろう」
胸を張り、前を見据え。
「だが、連綿と続いた父母の悲願を理由にしてはいけない。戦うのは、ここにいない父母ではなく、己自身である。己自身の心である。奮い立たせろ、何のために戦うか考え続けろ、何を望み、何を作り上げるかを思い描け。仕事だというものもいるだろう、認められたいと願う者もいるだろう。……愛する誰かを救うためという者もいるはずだ」
ちらりとライヤは視線を投げ、目元を和ませる。トオヤはボスを軽く睨んだが、ボスは素知らぬ顔でこちらを振り返りもしない。ただ、UGたちを鼓舞する。
「それを確かに思い描けたなら、その手で持って掴みとれ! お前たちの手はそのためにある!」
次の瞬間、叫びをほとばしらせた。
「我々は、アンダーグラウンド! 我々は誰にも廃棄されない! 運命を、手に入れろ!」
わあっと上がった歓声と共に、ライヤの声でもって宣言がされた。
「オペレーション・『St.アンダーグラウンド』、開始!」
・
*
・
「また後でな」
「おう」
拳を突き合わして、別れる。
ジャックは第三階層に滞在したせいで顔が割れているため、トオヤたちとは別陣営であり、攻撃を主にする後方部隊を率いることになっている。攻撃が開始されたら合流する予定だ。
同じようにして、ジャンヌもまた、トオヤたちとは別行動を取ることになった。紗夜子が引き出されてくるなら、テレサが追わないはずがないと、彼女はテレサと交戦するために隊を離れるのだ。
「それじゃ、また。紗夜子に会ったら『約束は守れるか分からないから確かめに戻ってこい』って言っておいて」
ライヤに調整されたという身体にあらゆる武器や守りを潜め、勝負服のようにきらびやかな丈の短い赤いドレスを着て、ジャンヌはひらりと単独で飛び立った。
「死ぬなよ!」
マオが声をあげ、その不謹慎さにジャックが「こらっ」と短く叱ったが、ジャンヌは裾をひらりと翻し、ヒールをかつんと鳴らすと、にっ、と笑った。
「あんたもね、マオ!」
手を挙げた【魔女】は晴れやかな笑顔をしていたが、それは、少し不吉な気もするくらい、明るく鮮やかな笑顔で。
マオが隣で鼻をすすって目をこするのと同じように、トオヤも目の奥に熱の固まりを感じて、目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
これが、UGの最後の戦いだ。
第三階層。エデンの最上階層であり、都市の支配者たちが生活を営む、天空の園。正門とも言える正面のエレベーターで、トオヤはライヤの息子として、ディクソンとマオはその護衛として、正々堂々とその場所に足を踏み入れた。
突き抜けるような天の青。矢のように降り注ぐ空の色彩に、無数の危険に囲まれている自覚をする。襟元では偽造情報を流すピンバッチが輝き、耳にはアンダーグラウンド専用の無線を入れていた。作戦開始まで何も受信しないようになっている。時間がくれば、隊の人間がアンテナを立てる手筈になっている。
迎えの車に先導され、キリサカの車両はゆっくりと第三階層を巡る。遠回りしているのは、しばらくすれば気付いた。
「……なっつかしいねえ、あれ、学校だよ」
ライヤが窓を見て呟くと、第一階層の大学を思わせる規模の大きな建物が、森を切り開いて建てられている。確か小中高大院と、第三階層は一貫教育を行い、専門的な人材を育成する。多くは政治家、科学者になるのだ。
もし第三階層にいれば、トオヤはライヤの跡を継ぐようにして、科学者としてあの学校の、大学院にあたる過程にいたのかもしれない。そして多分、何かが違っていたら、あそこで高校教育を受けている紗夜子とすれ違う可能性だってあったのだ。
――デモの、低く擦るような足音と、主張の声が蘇る。
冷たい風の吹く雑踏の中、少女の腕を掴んだ自分。
刹那、交わした瞳。
どちらとも、何の予感もなかったはずだ。ただすれ違うようにして出会い、偶然触れていただけ。たった数秒のそれで、トオヤは紗夜子を印象づけた。華奢な身体に似合わない筋の感触と、それに見合わない透き通った美少女、という。
(あいつは、どんな風に思ったんだろうな)
好印象を持たれるような格好はしていなかった、と思う。だが、紗夜子は覚えていたのだ。その日その朝に会った男が、自分を人質に取ったテロリストだと。どんな風に思ったのだろう。聞いてみたい、という気がした。
ぐるりと巡った第三階層の光景は、トオヤに何の感慨も呼び起こさなかった。ただ、隣席でずっと窓の外を見ているライヤもそうかと言われれば、そうだとははっきり言えなかった。
ユリウスが指定してきたのは、小さなドームだった。ガラスをはめ込んだ鳥かごのようなところだ。スープ皿を伏せたような平たい形をしている。すでに車が数台停まっており、何者かが、キリサカと同じように式に招待されているらしかった。車内で待っていると、確認を終えたマオがドアを開け、二人に耳打ちした。
「エガミの当主とその護衛で十名、第二階層の科学者が五名、ここに来てるみたいっす。タカトオはいません。断ったって話ですけど」
「科学者はユリウスの監視者だな。エガミは……」
紗夜子はダイアナを擁していたエガミに保護されていたことがある。その時の関係か。「エガミ、誰が来てるって?」と尋ねると、「当主です。ナナエ・エガミ」と答えがある。
(三氏の一人なら、【女神】制御室の鍵を持っている可能性が……)
「トオヤ、行くぞー」
のんびりとライヤが声をかけ、ぷらぷらとした適当な足取りで、ドームの扉に向かう。檻のような扉は、ロックがかかっていなかったらしく、すんなり開いた。
通路を通っていくと、鳥かごの中に鳥かごを作ったような、内側の建物に入っていた。重ならないように組み合わせた天井の格子が、様々な観葉植物の上に影を落としている。大きな葉や花木の間に長椅子が置かれ、奥に祭壇らしきものがある。
そこにいたのは、正装の男が十二名、女性が三名。科学者らしい男たちは初めて見る顔ばかり。エガミの当主は写真などで確認済みだし、第一階層ホテル襲撃作戦の時にちらりと顔を見ているが、改めて本物を見ると、気の強そうな小柄な女だった。
サイガ氏がテレサに殺害されたというのにこの女は第三階層に留まったのか、と考えたために、トオヤの視線は無遠慮になった。七重はトオヤを見て不快そうに目を細めたが、視線は逸らさずに、思ってもみなかったことに、こちらに向かってきた。片手に持った杖は、こういった儀礼用なのか、装飾が金属部分にぶつかるかしゃかしゃという音を立てる。
「あなたが、キリサカ?」
「ああ」
「ナナエ・エガミです。初めまして」
差し出された手は冷たい。心なしか、強ばっているようだ。ライヤとも握手をする。
「初めまして、キリサカ氏」
「やあ、初めまして、エガミさん。七重さんとお呼びしても?」
こういう時のライヤの飼っている猫は完璧だったが、七重は警戒を解くことなく、どうぞ、と素っ気なく答え、こちらを見上げた七重は言った。
「……あなた、髪色は黒の方がいいわね」
ぎくっとしたトオヤだった。七重はかすかに笑う。
その時、かすかに音楽が流れ出した。賛美歌。エデンに持ち込まれた、古い宗教の曲だ。七重が通路を開けるようにして一歩下がり、トオヤの後ろに立った。
その位置が、気になった。
(なんだ、こいつ)
自分の護衛の側にいればいいのに、キリサカ側の手が届くようなところにいる。そして、彼女の護衛たちは誰もそれを咎めようとしない。そして残りは科学者で、護衛がすべてエガミの手勢であるという現状、この不自然さに気付いているのは、トオヤたちしかいないようだが。
扉が開く。そこに現れた白いドレスの女を認めた瞬間、トオヤは身体を回転させて七重もろとも地面に伏せていた。