爆炎が、上がる。


 最上位研究施設は、火災が発生したという警告を、三十分前に響かせていた。研究員はすべて外に退避したが、その火災というのを誰も目撃しておらず、はて誤作動かと首を傾げた頃の、爆発音だった。
 研究施設は煙を上げ、二度、三度と更に爆発を繰り返した。
 ネクタイで汗を拭い、息を吐く。
 いつか憧れた、エデン最高の研究所。それを爆破するのは、たまらなく笑えていた。悲しみや越えて、見送るような厳粛な気持ちでもあるのに、爽快で、達成感があった。
 ライヤはスイッチを持って、彼なりの祈りの言葉を呟いた。
「……偉大な、先達たち。そらを越え、船を運び、降り立った先祖たち。あなたたちはもう楽園に縛り付けられない。どうぞ、思うところへ還ってください」
 地下が崩れ落ちた。
 ライヤは研究施設の地下深くから吹き上げてくる炎と煙に巻かれながら、安堵のため息をついていた。血液、細胞、卵子や精子を保存していた部屋に一つずつ装置を仕掛け、すべてを作動させた。どこかに残っていないかぎり、もう自分たちの細胞で勝手に命が作られることはないのだ。
 能力に優劣を付けて遺伝子をランク分けし、掛け合わせることを、研究と呼んだ人間たちには、もう十分に罰が下るはずだった。間もなく、世界は開かれるのだから。
「さてっと、この後どうしようかなあ。エデンを出るのもありだよなあ。【女神】がなくなるんなら、多分『境界』もなくなってるよねえ。『外』に人類がいるって話が本当なら、未開のその土地を研究するのも面白そうなんだけど、汗掻くの嫌いなんだよねえ」
 クーラーや暖房の効いた部屋で、好きな飲み物や食べ物を口にしながら、キーボードを叩く生活を思い出し、ライヤはくすくす笑った。まったく、不健康。
 また爆発音がした。どうやらあちこちに引火しているらしい。そろそろここを出なければ、AYAが心配したように巻き込まれることになってしまう。よっこいしょ、とじじくさいかけ声で扉を開けた瞬間、その通路に白い人影が立っていることに気付き、ライヤは言葉を失った。
「ライヤ」
 と目の前の女は微笑み、それに答えるように、ただ、セシリア、とだけ、自分の口が勝手に答えていた。


 爆発が、起こる。


 テレサの撃ち出したのは、彼女の身体に見合わぬ巨大な誘導弾だった。それは空を飛び、宙を滑るようにして回避するジャンヌを的確に追ってきた。ジャンヌは大きく弧を描いて飛翔し、テレサの後を追うが、飛行機能を備えた【魔女】としてジャンヌを先んじるテレサは、あっという間に速度を上げて逃げていく。軽く舌打ちすると、ジャンヌは階層にまで飛んだ。複雑に組み合った配管と装置、そして壁のぎりぎりまで誘導弾を引きつけたジャンヌは、次の瞬間、一気に出力を上げて上空に昇った。
 誘導弾が階層にぶつかり、爆発が起こった。
 被害は最小限に食い止めたい、などと言っている場合ではなかった。空を飛び、距離を撮りながら、ジャンヌは妹を観察した。彼女の体内は、おそらくかなり削られて、人間ならば立っていられないほどの負担がかかっている。【魔女】たちの武器錬成は無限ではない。体内を削って撃ち出すのだ。あんなミサイルなど撃ち出せば、人としての形成を失ってしまう。
【魔女】よ人たれと作られた、その目的をテレサは放棄しつつあった。
「さスがです、ジャンぬ。それデコそ、第一の【魔女】」
 歪んでしまった声に、ジャンヌは痛みに似たものを覚えた。テレサが痛覚をオフできることを、今は感謝するしかなかった。
 どれくらい痛いだろう。どれくらい苦しいだろう。どれくらい――。
 しかしそれはジャンヌの独りよがりであって、テレサは自分の思いに準じているに過ぎないのだろうけれど。
 光の軌跡を描き、空を切って飛翔する【魔女】たちは、激しく銃弾を撃ち出す。彼女たちの飛行装置が鱗粉のような光を撒き、火を噴く銃口は、星を小さく爆発させるような輝きを間断なく散らす。薬莢が、まるで黄金のようにきらめいて落ち去っていく。
 ジャンヌがマシンガンの傍らで吐き出した小さな誘導弾が、雲を起こしてテレサに向かう。テレサは身体を回転させ、蝶よりも鳥よりも激しく舞い上がる。ジャンヌも後を追った。雲を突き抜けたところで、誘導弾はテレサの周りで小爆発を起こして散った。
 地上には楽園が広がっている。広大な森、切り開かれた階層都市、その最上層の小さな大地が視認できた。しかし、都市だけでなく、周りまで作られたもののように、森や大地の形がはっきりと区切られているように思えたのは何故なのだろう。捉えられた台地が見慣れた鈍い灰色に光っているような気がした時、「ヨそ見とハ余裕でスネ」とテレサが撃ってきた。ジャンヌもまた撃った。
 交戦を描く誘導弾は、二人の間で爆発した。そして、双方ともその爆炎を縫って、レーザーの刃物を振り上げた。
 ばちばちっ、と噛み合って火花を散らした文明の武器を、二人はまた別の角度から繰り出す。赤く、白く、儚い花火のように散る光が、お互いの瞳に映り込んでいた。
 まるで、暗闇の部屋に、窓から外の光が射し込むような、そんな輝き方で。
「ごめん」
 ジャンヌの短い言葉が、摩擦音と風に巻かれて消える。それでも、ジャンヌは言った。エンジン音が唸り、ファンがきんきんと回る音の中で。振り上げる、刃の間に。
「あんたたちを忘れてごめん。あんたたちを救えなくてごめん。あんたたちの側にいてあげられなくて、ごめんなさい」

【魔女】はたった四人の姉妹だった。人間が「たった一人の姉妹」と呼ぶのとは、少しわけが違う。人間という種はたくさんいても、【魔女】という存在はたった四人しかいないのだ。
 天才ライヤ・キリサカが生み出した、思考するAI。第三階層者の誰も、姉妹たちと同一の知能の開発を目指し、挫折した。他の成功は一度もなく、彼女たちは、たった四人だったのだ。永劫の命を予感し、けれども、戦わなければならない宿命を負い、それでも生きていた。何かのために。

「あたしは、あんたたちが好きよ」
 テレサは笑った。
 人としての形を失いつつあっても、それは柔らかく美しい微笑だった。
「わたくしもですよ」
 いつか、エリザベスが揶揄したことがある。
『あんな美しくないもの、搭載しているわけないでしょう』
 ジャンヌは微笑んだ。本当に美しくないこと。
 あたしたちは四人だった。一人残されるのは、きっと寂しい。
 きっと、寂しい。
 だから、一緒に行こう。
 自身の中の留め具が外れる感覚が全身に響き渡る。

 ――ジャンヌ、テレサ!

 先に行った妹たちの声がして、ジャンヌは何かに包まれたような気がした……。



 爆発が、起こった。星を照らすように。始まりを予感させるような、大きな。
 その衝撃が雲を吹き払い、雲に覆われていた地上に、光が射す。


      



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