爆炎の光に照らされる女の顔は、終末を予感させて美しい。際限ない火の粉が、彼女の滅びの力を表しているようだ。ライヤは、だからああ自分はもうここでしまいなのかということを感じ取ってしまった。
「何か聞きたいことはある?」
「アヤに会った?」
 久しぶりという挨拶もなく、何故ここにいるんだという疑問も問わず、ライヤは妻の名前を口にした。セシリアもそれをごく自然に受け止めたようだった。
「ええ、会ったわ。見送った」
 ライヤは感謝に目を伏せた。
「ありがとう。あいつを一人で逝かせることにならなくて、よかった」
「一人で逝ったとしても、あの子は恨まなかったでしょうね」
「責めないでよ」
「責めてるんですもの。仕方がないわ」
 研究所内を吹き荒れる風が、熱く、またある意味温かった。消火装置は、一部を残して切っているため、煙った空気で澱んでいる。アンダーグラウンドよりも相当ひどいにおいだった。
「でも、お前はセシリアじゃないんだろう?」
 セシリアは微笑んだ。
「セシリア・アルファ=テンの意識は【エデンマスター】に組み込まれている。セシリアである部分も残っているけれど、近しく似ている誰かと言った方が正しいかもしれないわね」
「そして、お前はホログラムだ」
 にこりとしたのは肯定だった。でなければ、こんなところにセシリアがいるはずがなかった。エデンマスターに組み込まれているというのなら、近しいところに身体がなければならない。セシリアが【女神】としての機能を維持するためには、本体の補助が必要なのだ。どちらが欠けても、いけない。
 セシリアはゆっくりと目を細めた。カメラが動く音がした気がして警戒すると、次の瞬間、激しい音を立てて背後の扉が吹き飛んだ。
 咄嗟に身体を伏せ、かつて扉であった破片を避けたが、そこに立っている複数のロボットに、目を見開き、ついで舌打ちした。
「研究所の警備ロボット……!」
【魔女】のAIを開発するほどの技術を持ったライヤからすれば、出来が悪いとしか言いようのない、骨格だけのロボットは、携帯した銃を向けてきた。そして、その銃口が一斉に火を噴いた。
 素早く隣室に飛び込んだライヤは、その部屋の窓を割って外に飛び出した。しかし、そこにもロボットが待機している。茂みに飛び込み、身を低くして走り抜けたそこを、銃弾が飛来する。窓が割れ、煙と炎が噴き出した。無事にすませたというのに、もったいない。
 ライヤは腰の銃、そのリボルバーに触れたが、どう考えても、手持ちの銃弾全部を撃ち尽くしても、ロボットを全てを止められるとは思えない。爆弾もすべて使い果たしている。
 かくなる上は。
「逃げるしかないよねっ!」
 少女のように無邪気に叫ぶと、その声とは裏腹なぎらついた目をして、敷地の外に向けて走り出した。



 攻撃が途切れた間を縫って、先攻部隊が突撃する。技術のすべてを使い捨てる勢いで準備を整えたUGは、武器、防具のすべてを放出したのだ。だからこそ、シールドを携帯しているUGは、銃弾を恐れることなく相手に向かい、素手で道を切り開いた。
「江上からの情報が正しければ、【女神】本体の電源を切れば、必ず非常電源が作動する。その非常電源を作動させないためには本体とサブを直接攻撃しなければならない」
「直接爆破するのが一番でしょうね」と七重は応じた。その手は、間断なく、ミニPCのキーボードを叩いている。呼び出した総督府本部の情報がウィンドウに表示され、現在の戦闘状況を、【女神】がどのくらい把握しているかをAYAの接続で見ているのだ。地下にあるコンピューターからのデータなので、送受信が非常に遅い。
 地図が表示されているが、あまりいいとは言えない状況だった。防護シャッターが下ろされたりなどして、侵攻が遠回りになっているのだ。手段を講じて袋の鼠にされるのは予想がついた。
「わたしのパスワードがあっても、本体にたどり着けなければ意味がないわ」
「辛いなあ」とジャックが苦笑している。無事合流を果たしたジャックは、後方部隊の一部を連れて進撃していた。
「正攻法なのね、UGって。こんなときにお上品にしている必要があるの?」
 銃弾が飛び交い、爆発音がし、エガミの当主がいるというのに攻撃されているという現実に悲観することなく、七重はトオヤたちに意見してみせた。
「お嬢の中のUGってどんなんよ?」
「常識はずれの集団」
「ひどい!」
「ジャック、最上位研究施設が落ちたぞ」
 諌めるようにディクソンが冷静に報告し、顔を覆った手をぱっとどけたジャックが画面を覗き込む。
「研究員は」
「第二階層に避難した。エレベーターに乗り込んだのを確認」
「よし。後は本部に任せよか」
「こんな状況で正攻法だとか正々堂々とか言ってるのがまだるっこしいと思うわ。UGなんでしょう。確実に勝てる方法を選んだらいかが?」
 こっちの苦労も知らないで。トオヤは舌打ちする。
「あちこち壊して回れってか? 不用意に爆破できるか」
「後のことを考えて? そんなせせこましいことを考えるなんて、ケツの穴の小さい男ね」
 トオヤは絶句した。ジャックは噴き出している。こんな、歳がさほど変わらない女に侮辱を受けて湯気が立ちそうだ。男だったら確実に一発殴っている。
「たどり着かなきゃならないんでしょう、あなた」
 しかし、七重が吐き出したのはそんな静かな台詞で、トオヤは黙り込んだ。
「早く行って。紗夜子が待ってるわ」

 ――やがて、既存の通路ではなく、壁を爆破して無理矢理通路を確保する、無茶苦茶な作戦が開始される。



     *
     ・
     ・
     ・
     ・

 深い、暗い、夜の、闇の。その底で、誰かの声を聞いていた。笑い声、泣き声、叫び声、呪いや怒りの声。冷徹な声。また戻って、笑い声。視界は開けては閉じ、閉じては開いた。
 心はもう最初から底にあった。
 そこにあった。
 でも、何かにぶつかり、悲嘆し、叫び声を上げて泣き崩れるたびに、気付けばそれよりずっと底があった。

 だからきっと最果てはなくて。
 だからきっと本当の絶望なんてないのだと。
 いつも、あなたたちが気付かせてくれる。



 光を掴み、握りつぶすようにして、紗夜子はユリウスの手を握りしめた。ユリウスが驚いたように身体を強ばらせ、起き上がる紗夜子を見つめている。紗夜子は握りしめたままだった彼の携帯電話をメールが送信されたことを確認もせずに投げ捨てると、白い少年を逃がさないよう、きつく手首を握りしめた。
 手首を取り巻く白いレース。足下でかさつく、ミニ丈のウェディングドレス。足がぎしりと鳴る。
 紗夜子の瞳は、暗く激しい炎を燃やすように、黒々と輝いていた。
 草原の、上だった。第一階層で言う公園のように開けた場所だ。周囲に森があり、ここだけぽっかりと取り残されたように、芝生の青が眩しい。
「トオヤは、来ないよ」
 麻酔で眠らされていたために、長く使われていなかった声帯は、かすれた声を放ったけれど、その強さはユリウスの背筋を撫でるように凄絶なものだった。
「私が行くから」
「何故? 君は僕の花嫁なのに」
 ユリウスはそのことを喜ばしく思うように、赤い唇で笑った。
「第三階層が崩れ落ちる今こそ、僕たちSランク遺伝子保持者が立ち上がるべきだ。よりよい都市の運営のために、楽園の存続のために。僕たちが王と女王になるんだよ」
「私は、都市を選ばない」
 紗夜子は否定する。
「都市なんていらない。今ここにあるすべてを、次につなげること。それこそが世界で未来だよ。そして私は、地に這いつくばって汚く生きていく。みんなと同じように」

 誇りを叫ぶように紗夜子は言い。
「絶対に許さない」とユリウスは言った。

「許さない。君は僕のものだ。紗夜子。僕とくれば、君は永遠を手に入れられる。死んだ友達を生き返らせることだってできる。そうなったら、君の罪は払拭されるんだよ。だって、殺した友達が生きてるんだもんね!」
 紗夜子は激しい痛みに襲われて悲鳴を上げそうになり、息を飲み込んだ。泣きたい。ユリウス、そういうことじゃないんだよ。そう告げたとしても、彼は分からない。人はいつだって個人であり、それが一度でも失われたとすれば、それは死以外に他ならないのだと。紗夜子が手をかけたフィオナは、――エリシアは。
 過去を塗り替えることでもしなければ取り消せない事実でしかない。
 紗夜子は一度唇を噛んだ。
「どうしてそこまで私に……都市に執着するの? あなたは生体義肢をつけているわけじゃない。私に義務があるわけでもない。あなたは誰にも縛られてない。ここを、出て行けるんだよ!」
「どうして出て行かなければならないの? ここは、僕のものなのに!」
 紗夜子の両手を持って、ユリウスは笑む。


「ねえ、紗夜子。僕はこの世界を愛しているよ。この美しくも醜い世界。この聖なる汚濁の世界を。世界の在り方は、きっとずっと変わらない。支配者が変わっても、時が流れても、美しく、醜く、清らかで、汚い。偽物の善と愛を呟き、光と闇は分かれて在る。僕はその空虚の王になって、みんなを愛する。ねえ、紗夜子も愛しているでしょう? 世界を愛しているでしょう。嫌いな人なんて作りたくないよね。真実を愛して不正を憎むよね。そして何もかもを許したいと思うよね。君はだから誰をも受け入れられる。君のその感情は空虚っていうんだよ。それは世界を愛し、憎み、最後にまた愛すことができる」


 さぁちゃん。
 深い記憶の、最初の罪が、紗夜子を呼ぶ。
 どうしてここまで来たのだろう。泣きながら、もがいて、あがいて、ここまで歩いてきたんだろう。誰かを手にかけて、血や煤で手を汚し、それでも心を抱いてきたんだろう。





 お前が俺にくれるって言うなら。





 残りの時間全部、俺のものにする。






 ――だって、光が、見えたんだ。
 いつだって、そうなのだった。どんなに深いところに落ちても、どこかから光が射した。それは空だったり、地下だったり、すぐそばだったりした。いつの間にか光っているものもあった。
 いつだって、どんな時だって、例えこの手が汚れようとも、この身体に流れるものが呪われていようとも、最後には誰かが信じてくれたんだ。
 好きでいてくれたんだ。

(あなたにあげる。あなたのために、生きていく。これまでの日々はすべて、そのときのための階段だった)

 だから私は、過去を絶対に否定しない。


      



<< INDEX >>