ぱん、と乾いた音がした。
頬に、ドレスに、鮮血が降り注ぐ。
少年の身体は傾ぎ、紗夜子は急いで彼を抱きとめ、横たえた。
「ユリウス、ユリウス! しっかり……」
彼の腹部を押さえながら、手のひらに溢れ出していく血に紗夜子は息もままならない。
「どうして自分を撃ったの!」
「殺したかったよ……君を、壊したかった……綺麗な紗夜子……君は汚れるべきだ、もっともっと、醜く生きるべきだ……でも」
ユリウスの吐息は、それまでのどんな呼吸よりも優しい。
「そういう人間が、いてもいいのかも、しれないね……偽善があるように、偽物の美しさがあってもいいのかも……理想をうたい、人を賛美し、夢を愛する人間がいても……きっと、許されるんだろう……君が続ける世界は、きっと、そういうものなんだろう?」
「黙って。喋っちゃだめ」
「僕たちは……Sランク遺伝子保持者は、新世界に行けない。行くとしたら、初期化した状態で……一度死んで……ああ、何を言ってるのか分かんないや……」
腹部を圧迫しても、血が止まらない。
「生きたいんでしょう! 頭を撃たなかった。あなたは生きたいと思ってるんでしょう!?」
「僕のものにならない君なんて、もういらない。だって、こうすればきっと君は、一生僕のことを忘れないでしょう。すべて抱えて、生きてくれるでしょう?」
「他人の魂なんて背負えない」
紗夜子は呻くように叫んだ。
「あなたの魂は重すぎる。自分で抱えて生きて!」
「僕は言ってほしかった。君じゃなくても、誰からでもよかった。愛してるって。ねえ紗夜子、天国へ行ったら、君の姉さんが迎えてくれるかな? 君に行ったみたいに、『だいすきよ』って、言ってくれるかな……」
ユリウスの気配が、ふっと遠ざかる。
「ユリウス! ユリウス、目を開けなさい!」
その代わりに、何かおぞましいような気配の固まりが現れ、紗夜子は総毛立った。
白い、人間。だがその白は意図的な白、白衣の白だ。
――科学者たち。
統制されたロボットのような姿で、集団を個にしたような無個性の集団を目にし、紗夜子は忌まわしい気持ちのままに叫ぶ。
「どうして誰も助けようとしないの。この子を、生かすんじゃなかったの!?」
ぐるりと同じ顔をする研究者たちを見つめ、紗夜子は一人、知った顔を見つけて呼んだ。
「ムラキさん!」
「だめよ。こいつらは……」ジャンヌが側にきて、ユリウスを守るように間に立った。それでも紗夜子は叫んだ。かすかな呼吸が、鼓動が、手のひらに感じ取れる。この手を離すことはできない。
「手当をしなければ、このままでは本当に死んでしまう。どうしてあなたたちは動かないの!?」
「それこそが我らの計画」
どこかからしわがれた男の声が上がった。
「純血計画に秘した、真なるプロジェクト――失楽園計画」
感情という感情を消し去り、己の望みと目的のみを目指す、コンピューターよりも無機質な声。
「君は何故、我々がこのエデンに住まうのだと思う?」
助けなさい、早く! そう言う紗夜子の声は遮断される。
「その昔、大きな戦争があった。戦争を忌避した科学者たちは、すべての国家から独立する都市を密かに作り上げた。やがて戦争が終わり、国が国家として機能しなくなった時、科学者たちは各国から、少しずつ人を呼び寄せ始めた。戦いを忌避する者たちが平和に暮らせる場所があるという噂が広まり、人々は集まった。あの場所には楽園がある……だからこそ、ここはエデンの名を冠した」
「都市へ至る道は険しく、科学者たちはたどり着いた者たちをこう言って迎えた。――『ようこそ、選ばれたる君よ』」
「あなたは不思議に思わなかった? 人工臓器、生体義肢、人間と変わらない機械生命体まで作ることができるのに、どうして人間を作れないのだろうって。法律? 法律ができた理由があるの」
「純血計画の前計画に、新人類計画というものがあったんだ。エデンにはすべての人種、民族が揃っているとされている。ノアの箱船のようにね。その人間たちを掛け合わせて、新しい人類を作る……エデン族という者たちを。都市を造った科学者たちはその技術を容易にしていたけれど……」
「その術は封印された。何故か? エデンは呪いを受けていたから!」
「人工授精、遺伝子操作……我々が『人間をつくる』行為を行うと、生まれてくる人間は、すべからく銀の髪と銀の瞳を持ち、人間的に欠陥を抱えていた。我々が代々保存してきたSランク遺伝子細胞は、役に立たなくなってしまった」
「私たちは神の領域はおろか、人類の手助けとなる不妊治療もままならなくなってしまったのよ……遠くない将来、エデンは崩壊すると、研究者たちは目算したの」
「必要だった。このエデンを解放すること。エデンの檻を崩壊させること。新しい血が」
「外部の血を。新しい人間を!」
「そのためにはSランク遺伝子保持者を――エデン最高の遺伝子を越える者の存在が必要だったのだ。我々は試験した。まずはSランク遺伝子保持者が世界に出て行くに耐え得るかどうか。三体の被験者で結果を見たが、不可能、という回答が得られた。その他の被験者は、皆、精神を狂わせて死んでしまった。三体もまた、精神的に不安定で欠陥を持っている……ならば」
「ならば、片方なら?」
「Sランク遺伝子に固執しすぎたと考えた我々は、両親の片方を普通の人間から選ぶことにした。Sランク遺伝子保持者の成功例で女性は一体であったことから、まず最初に難しい実験を――Sランク遺伝子保持者の母親というモデルを使用することにした。母体は、アルファ=テン。父親はクウヤ・タカトオ氏」
「そして同時に、父親がSランク遺伝子保持者である場合のテストも始めた……誕生まで二年遅れたがね」
「そして君はユリウスを越えた! この実験は、君が勝利したのだ!」
示し合わして運命を模した声は、一斉に紗夜子を示した。
「さあ、行きたまえ! 楽園を越えよ!」