Stage 12 
      


 この銃が運命だとして。
 部品のひとつひとつが、世界というものだとする。
 世界っていうのは、人間とか、関係性とか、人が生きること、そのためのことすべてを言う。
 部品が集まって、世界が作られている。

 たまたま銃に例えただけだけれど、これが例え他のものであっても。
 私がそれを握ったってことは。
 私たちがそれを握るってことは。

 世界はいつでも、私たちの手の中にあるんだってことだ。






「あなたたちのために行くんじゃない」
 紗夜子は吐くように言った。
「私は……」
 心が震えている。怒り。悲しみ。失望や絶望。あらゆる負の感情が思考を麻痺させる。しかしそれが収まると、心は一つの固まりを生み出した。銃弾に似ているそれを、紗夜子は、心に込めていく。
「私はこの子のために……」
 ちがう。もっと大きなことだ。
 人間が人間にできることは限られてる。どんなに残酷なことができたとしても。それよりももっと大きな、この世ならざる力みたいなものが、紗夜子たちの周りにある。仕組むようにして、プログラムと同じに、プロットをなぞるようにして、私たちを弄んでる。
 飛び越えなければならない。その力を手に入れること、それこそが、科学者たちが求めた本当の生命だ。ただここに導かれるようにやってきた紗夜子に、その力はない。
 私に出来ることは、生きること。その生き様を、示すこと。
 それを物語という。――運命ではない。
「お前になんか負けない」
 紗夜子は睨み据えた。真っすぐに。それが誰か、顔も分からないけれど、今、自分を見ているものに向かって。
「運命に弄ばれる命だけど……それでも、私は、私の人生を生きてやる! お前になんか、好き勝手させてたまるか!」
 見えない銃があり、紗夜子はそれを手にして、撃ち出した。
 見えない銃弾は、まるで鳥のように緩やかに、光のように速く。さざなみのように影響し、風のように感触させ。ここにいる者、ここにいない者、近き者遠き者に、様々影響を与えた。


     ・


「紗夜子、無事かな」
「無事じゃないと承知しないよね」
 リンとランは、暗闇の中でそう呟きあった。
 AYAが非常事態宣言を出し、アンダーグラウンドの電力などは最低限に絞られている。歓楽街は息をひそめ、それでも人々は集い、ろうそくや別の電源での明かりでもって、静かにそのときを待っている。
「ミシャも元気だって手紙書いてきたのにね」
「あーあ。紗夜子がいなくなったら、あの子泣くんだろうなあ。めんどくさー」
 鼻をすすり、黙って目元を拭うリン。
 ランはろうそくの明かりを見つめながら、言った。
「ねえ、知ってる? 昔はね、こうしてろうそくの明かりだけで過ごす夜があったんだって。でもそれは強制的じゃなくて、誰かが『やろう』って言い出して、それに賛同した人たちが、こうして全部の明かりを消してろうそくだけで過ごす夜を作ったんだって」
「ふーん。何のために?」
「さあ……何か、祈ってたんじゃないかな」
 リンは大きな目を瞬かせた。
「宗教?」
「違う違う。宗教がないと祈っちゃだめってことはないでしょ。だからきっと、その人たちは、ほんの小さな祈りの気持ちを持ってたんだよ。同じ夜を過ごして、同じ闇を見つめて、同じ朝を待ったんだと思う」
「……結構夢見がちよね、ランって」
「だよねー。自分でもそう思う」
 部屋の外から呼ぶ声がする。
「リン、ラン! ちょいと手伝っておくれ! 親父どもがこいこいってうるさくってさあ!」
「はあい!」
「今行きますー!」



「インターネットの回線が、ちょっと重くなってますね」
「ソーシャルネットワークサービスのサーバーが落ちました。復旧始めてます」
「携帯電話の電波、安定しません」
 淡々と報告されるUGの声に、藤一は不思議そうに言った。
「一体何を見るんでしょうね、そんなに一斉に」
「人々は雄弁です。見る者もいれば、書く者もいる。書いた者に答えを返す者もいる。人の交流は際限がない。それは幸福なことです」
 ボスの声に、藤一は頷く。
「この都市にいるのが、私たちだけでなくてよかった。この世界で、私たちは孤独ではないということですから」
 第三階層の男は言う。
 だからどうか孤独な人が救われるように、と祈る声だった。



「彼は」と七重は抱きかかえられながら呟いた。UGの男の腕の中は、煙と埃と、ほんの少し安らいで、なのに動き出さなければと思わせる香りがしている。
「死ぬつもりかしら? そうだとしたら馬鹿ね」
「うん……でもな、そう決意せな変えられんことっていうのはこの世にはいっぱいあるんやで。そうして、その決意が本物って確率は、ほんの少しなんや」
 破壊された廊下を警戒しつつ走りながら、ジャックは答えた。
「だからこそ、奇跡がある」
 ディクソンは言った。
「本物の、奇跡が」


     ・


「…………っ、どいてください、どけ!」
 白い群れの中で動く者がある。頑な岩をどかしたかのように息を切らせて前に出てきたシゲル・ムラキに、紗夜子は警戒を解くことが出来ず睨みつけた。
 けれどムラキはユリウスの傍らに膝をつき、痛ましげに顔を歪めた。
「ユリウス……」
 感傷は刹那だった。きっと目を強くすると、ユリウスを担ぎ上げる。
「治療します。連れて行きますから、あなたは行きなさい」
「ムラキさん」
「間に合わなくても、責めないでください。もしそうなれば、自分を責めた上に他人にまで責められて、自殺するくらいしかない。……私に出来ることはそのくらいしかない」
 見つめる紗夜子に、ムラキは笑った。
「血塗れた聖女ですか。伝説になりそうだ」
 ウェディングドレスは血まみれで、すでに変色が始まり、白と黒のまだらになっている。ムラキは紗夜子の足をちらりと見て、目を見た。紗夜子は頷いた。
「大丈夫――これでも、走れます」
 むしろ普通より速いくらい(・・・・・)……冗談を言ったつもりではなかったが、ムラキは泣きそうな顔をした。
「ムラキ。それを助けてどうする」
「計画は終わった。男性体のSランク遺伝子保持者ハーフは必要ない」
「出血が多い。助けることはできない」
「誰が決めたんです、そんなこと」とムラキは嘲笑った。
「運命? プログラム? プロット? そんなもの、笑い飛ばして、壊して、破り捨てればいいんです。描きたいように描く、それが私たちの人生で、この子の人生です」
「無駄なことを――」
 行け、とムラキは叫んだ。
「行きなさい」
「行きなさい、紗夜子」
 ジャンヌは、ユリウスが取り落とした銃を差し出した。
「予言をあげる」
 銃に伸ばした手が、無意識に止まってしまった。
 顔が焦げ、壊れ、人の姿を失ったジャンヌはどこまで醜い姿で、どんなものよりも優しく微笑んでいる。
「あんたは運命を撃ち出すわ。だから世界を手に入れるでしょう。世界とは愛も憎しみも悲しみも怒りもあるもののことで、そのあらゆるものがあんたに降り掛かる。あんたの足はくずおれ、立てなくなる時もある。それでも、あんたは生きていく」
 ジャンヌの冷たい金属の手が、紗夜子の手を握りしめた。
「もう、生きることからは逃げられない」
 そうして紗夜子の中には銃があった。
「駆けていくのよ――早く。速く」

 そうして紗夜子は走り出した。運命の輪を突き崩し、広い芝生の上を、森の中を、切り開かれた神々の国の上の道を。空は破れて青く、光は曖昧に、雲の隙間から降り注ぐ。雲の影は暗い。それでも覗く空は、泣きたいくらいに果てのなさを予感させている。
 その終わりのない世界を、私たちは走っていく。
 終わりのない戦いの道を行く。
(泣くな)
 苦しい。立ち止まりたい。でももう始めてしまったのだ。この世に生まれ落ちたのだ。だからもう、生きることは止められない。
 その苦しみと共に、その喜びを知ったから。
 胸に光が灯された。彼らが灯してくれた。
 今行く。その虚構の空間で伝えた一言を、「来たよ」という現実の言葉にするために、紗夜子は駆ける。
 それでも涙がこぼれた。

「泣くなぁっ!!」

 ねえ、私たちは、生きていくんだよ。
 生きていくしか、ないんだよ。



 この世界に生まれたのだから。


      



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