「……あれは……なかなかの逸材だな……」
ディクソンが心底感嘆したように蹴りと噛みついた度胸を言い表し、トオヤは噛み付かれた衝撃か、それとも怒りのあまりか、まだぶるぶる震えが留まらない手を見下ろした。顔が引きつる。
「あいっつ……歯形付くくらい噛みやがった……」
騒ぎを聞きつけて集まっていた光来楼の人間が顔を見合わせている。説明役に回ったディクソンが対応に向かったところに、外に飛び出したはずのジャックが戻ってきた。
「すまん、見失うた。サヨちゃん、めっちゃ走んの速かった」
「AYAに聞いた方が早い。メールを出そう」
端末でメールを出すとすぐに返信が来た。箇条書きで、二つの文面があった。
『・紗夜子は第一階層へ向かっています。
・光来楼の玄関に設置された監視カメラの映像を送ります。』
端末を操作し、再生ボタンを押すと、玄関の映像がディスプレイに流れ始めた。そこには、店の者らしい少女と手を繋いで隅に行く紗夜子の姿がある。何か話しているようだ。衝撃を受けたように紗夜子は一瞬で棒立ちになって少女を見送り、何か苦悩するように額を押さえている。そこへ、足をふらつかせた男が現れ……ここで動画が終わっている。
「この子……」
「ミシャじゃないか?」
トオヤが仰いだ先で、画面を覗き込んだリンとランが答えた。
「うん、未沙じゃないかなー? このかんざし、未沙のだと思う」
「うん、あたしもそう思う」
「そのミシャはどこ行った」
「仕事は上がってるはずよ。でも、もしかしたらここにはいないかも。あの子最近すぐどっかいなくなるから」
トオヤは素早くジャックとディクソンを見た。二人も目配せし合っている。
地下に潜っているが故に発達した直感が、何かあると嗅ぎ付けた。
「ね、トオヤ、今度いつ遊び連れてってくれんの?」
「また今度な。二人とも、それまで金でも稼いどけ」とぶうたれてしまった二人に言い置いて、トオヤは指示を出す。
「俺が行く。予定通り注意喚起と、あと部隊連中を呼んでくれ」
「了解」
「おっけ。すぐ行くから無茶しいなや」
トオヤは店内の階段を駆け上り、封鎖されている扉のロックを外す。第一階層へ続く階段が現れ、駆け上がる。アンダーグラウンドの出入り口は無数にある。UGはそれを記憶することを最初に求められるのだ。これで紗夜子が使った道を先回りできるはずだ。
ジャンパーに隠した銃の感触を確かめ、走る。
すると、耳がドアがスライドする音を拾った。更に足を速め、扉をくぐると、華奢な姿がある。後ろ姿の少女は気付かず、建物を抜けた。外に座り込んでいた男に、嬉々として駆け寄っていく。
が、男の方がこちらに気付き、目を見開いた。
トオヤは、地を一際強く踏みしめ、跳んだ。
ばきっ、と、トオヤの足が男の顎を捉えた。走った勢いのままの飛び蹴りで、男は紙屑のように転がる。
少女が悲鳴を上げ、男に駆け寄り、混乱した状態で振り返ると、目を丸くした。
「と、トオヤさん……」
「ミシャ、どけ」
泣きそうな、引き攣った息の吸い方をすると、ミシャは力が抜けたようにへたりこんだ。それを適当にどかし、トオヤは男の懐を探る。二重のビニールに包まれた白い粉を見て、息を吐いた。
「ご、ごめん……ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」
ジャンパーの裾を握りしめてくるミシャを見下ろす。ため息を禁じ得ない。いずれこうなることは分かっていただろうに。
「紗夜子がお前を追いかけていった。【魔女】から狙われてるくせに、第一に」
「え……」
彼女の目に浮かぶのは、私のせい、でも私のせいじゃない、でも、とめぐる葛藤だ。
「悪いと思うならそのガキ連れてアンダーグラウンドに戻れ。お前らをどうするかは今は後回しだ。あいつを連れ戻しにいく」
「だ、大丈夫、な、の? 【魔女】って……せ、戦闘になるんじゃ……」
トオヤは念のため、ポケットやジャンパーを叩き、装備を確認する。銃とシールド、ナイフなど諸々が入っている。ミシャは取り出された銃を見て青ざめながらごくりと喉を鳴らす。
多分これが一番正しい反応だ。【魔女】に狙われているなどと言われたら、青ざめて地下に引っ込むのが普通。
なのに、紗夜子は後先考えずに飛び出した。何を考えてやがると舌打ちもする。
トオヤは、呻く男をもう一蹴りして言った。
「そうならないように祈っとけ」