「『王の柱』が人と竜の間に立つものだということをお話ししました。この『王の柱』と『約者』が、竜と人が共存していくことの誓約の象徴ではないか、という説が唱えられています。竜たちが自らの一族から『王の柱』を選び、人間たちが同族から『約者』を選んで、この両者を番わせることで、いわゆる同盟を結んでいたのではないか」
「……もし、そんな世界があったとしたなら……」
 キサラギの内側で、どくどくと血が巡っている。
 熱い。心ではないところで、何かが叫んでいる。
 ――その時代が、確かにあったのだ、と。
(それじゃあ、私たちは、かつての同盟者と殺し合っている……)
「この説を知った時、私は、古王国が滅んだのも、ルブリネルクが興ったのも、人間が竜に反旗を翻したからではないか、と思いました。人間は、強い力を持つ竜が邪魔となり、彼らを悪とすることで、自分たちだけの国を創ろうとしたのではないか。そして、ルブリネルクになる場所はそれが顕著だったのでしょう。そして、当時の人間たちは、自分たちに竜の力が宿るように、試みた」
 その瞬間、キサラギの脳裏に浮かんだものがあった。
 ……薄暗い地下の施設で、狂ったように檻を揺らす美しい娘……別の部屋の無数の器具……それを叩き壊した自分のこと――マミヤと呼ばれる街での、かつての出来事だった。
「血を」
 とだけ、キサラギは呟いた。
 フェスティア公は、キサラギの素直さと賢しさにどこか呆れた様子で、疲れたように微笑んだ。
 ――竜の血を、人間の体内に取り入れる。そのことで、人間は狂う。
 だがその中に、狂わず、意識を保ち、人の姿のままでいる者たちが現れたのだ。彼らは人間にはない力を持ち、古い時代を駆け抜けたことだろう。大国を作り、小国を飲み込んで、その子孫たちは時の流れで薄められたわずかなその血を継いで生きているのが、現代だ。
 だから、王国地方の人間は、ほとんどが竜人なのだと、養父は言ったのだ。
 しかし、フェスティア公はキサラギに向かって首を振り、それ以上言葉として発することのないように制する。その理由を、キサラギも理解した。
 こんなこと、おおっぴらに口に出して回ったなら、王国と王家の功罪を吹聴するようなもの。粛清されても仕方がない。
「フェスティア公……人間の血が竜人の望みを叶える、という言葉に、何か心当たりはありませんか?」
「かなり古い伝承にある言葉ですね。私が知っているのは、『人の紅が王の望みを叶える』というものですが、人は『約者』のこと、王はそのまま『王の柱』のことでしょう。龍王と約者が交わす、誓約のことだと思います」
 キサラギは考えた。
 草原地方、そして大陸の境にあたるキズ山脈には、竜人たちが隠れ里を作って暮らしている。彼らは人間の血を欲し、それが自分たちの願いを叶えるのだと言って、人を襲っていた。
 ならば、彼らの望む血を持つ『人間』は、草原地方にしかいないということになる。
(龍王と約者の誓約が、この時代に本当に行われるのだとしたら、それは、草原地方の人間と、竜人の間でなければならないってこと……か?)
 さらに、キサラギは尋ねた。
「この地方に、竜がいるって言いましたよね。竜はどこにいるんですか?」
「恐らくは、人里離れた場所にいるのだと思います。首都周辺に比べて、竜が暮らしやすい力場があるのかもしれません。首都から離れた地域には、竜と人の共存の歴史が推測される、遺跡や資料が数多く眠っていますから」
 なら、首都を出て、地方に行くべきなのかもしれない。竜の痕跡は、この王国地方に来てからふっつりと途絶えている。竜という言葉のつくものばかりがあって、キサラギの探し人に繋がっているかは、まったく分からなかった。
(首都には、多分、本当の意味での竜人はいないんだ。なら、やっぱり旅をするべきだろう)
 そう思った時、ふと、零すようにフェスティア公が言った。
「……竜騎士は、古来、王の剣の象徴でしたが、現代では名誉号のようなものです。けれど、今代のアレイアールという竜騎士は、私が想像していた、古い時代の戦士そのもののように思えます」
 その戦いぶりを見たことがあるのだろう。暗い口調で、呟くように言う。
「竜(かみ)の力を得た戦士……」
 キサラギの心臓が、どきりと鳴った。
(まさか……)
 確かに、竜騎士は尋常ではない強さだった。躊躇いなく剣を振るい命を奪う、残酷で残忍な戦士のようだった。それをキサラギの知るものに当てはめるなら『竜人』という言葉が浮かび上がってくる。
 竜騎士レイ・アレイアールは、竜人なのか――?
 だが、まったく喋らないことも、無感動な反応も、何かに興味を持つことのない様子も、竜人が狂うように、精神に異常をきたしているがための反応ならば、もしかしたらそうなのかもしれないと疑う理由になった。
(確かめたい! あの竜騎士が、竜人なのかどうか……!)
「……人に聞かせるべきではない話を、たくさんしてしまいましたね」
 長く考え込んでいたキサラギに、フェスティア公はにこりと笑った。キサラギは首を振り、礼を言った。
「このことは、絶対に口外しません。誰から聞いたのかも言いません」
「そうしてもらえると助かります。……本当に、どうしてこうなってしまったのでしょうね。竜にまつわることを隠匿したとしても、積み重なった歴史は隠しおおせるものではありません。それに、現在の竜王陛下は、もともとは国史と竜を専門にしていた、ごく普通の研究者だったのですよ」
 二人で部屋を出て、キサラギをエルザリートのいる部屋に案内しながら、フェスティア公はため息をつく。学院で一緒に学んだこともあるんです、と寂しげに。
「あなたは、陛下に拝謁したことはありますか?」
「遠目からと、一度だけすれ違ったことがあります」
 何か病気をしているのではと疑う肌の色をして、眼が落ちくぼみ、痩せこけ、陰鬱な声で喋る年寄りだった。だが、彼が一緒に学んだことがあるというのなら、見た目よりもずっと若いのかもしれない。
 彼はじっとキサラギを見つめる。何か、と尋ねると、心配そうに言われた。
「あまり、目立つことはしない方がいいでしょうね。あなたはなんだか、人を惹きつけるものを発しています。陛下とすれ違ったと言いましたが、もしまた同じようなことがあれば、あなたを欲しがることもあるかもしれません」
「まさか」
「私も、つい話しすぎてしまった。気をつけなさい」
 心の底から案じられているようなので、戸惑いつつも、素直にはいと頷いた。
 どうしてだろう、この人が感じるものとはまた別の形で、キサラギはフェスティア公に親しみを覚えていた。一緒にいると、よく知っているような、馴染む感じがあるのだ。この人が、公と呼ばれる高位の身分にかかわらず、キサラギのような立場にある人間にも、丁寧さを失わずに話すせいだろうか。
 その穏やかな礼儀正しさに、キサラギは養父を思い出すのだった。髪の色や目の色、顔かたちが、どことなく似ているような気さえしてくる。養父イサイは、もともとは王国地方の人間だという知識も、その思い込みに拍車をかける。
 開かれた扉の向こうから、エルザリートの笑い声がする。もう一人、歳を重ねた女性の声も。こつこつと扉を叩くと、二人が振り返った。キサラギは、はっと目を見張った。
(イサイ父さん?)
「失礼いたします、姫君」
「お話は終わりまして?」と尋ねるエルザリートの隣で、フェスティア公夫人がキサラギに優しく微笑みかける。その顔は、思い込みを確信に変えるほど、養父によく似ている。
(そんな。本当に? 気のせい……だと思ったのに)
「公夫人。お話できて楽しゅうございましたわ」
「こちらこそ。エルザリート様。またぜひうちにお立ち寄りくださいましね」
 立ち上がったエルザリートは、キサラギを示した。
「わたくしの騎士、キサラギです」
 初めまして、と平静に言えただろうか。
 キサラギの内心は、どのようにして彼らの息子のことを聞き出そうかを考えている。それとも、この話は秘めておく方がいいだろうか。もし万が一、キサラギの養父が彼らの息子だとしても、イサイは王国地方を厭って草原に渡ってきたのだから。
「キサラギ? そのお名前は、草原の方なのですね。草原はどんなところですか? こことはやはり違うのかしら」
 遠い地を夢見るような笑顔に、胸がいっぱいになる。
「草原は……広くて、いつも力強い風が吹いています。生きるのは大変ですが、自由があります。自分が空っぽな気さえする自由が」
 そう、と夫人は子どもに対するように微笑んだ。
「あなたが、この場所でもその自由を奪われませんように」
 あくまで客人に対する距離を保ったままだったけれど、表情は親しみを持って優しく、公夫人はキサラギの無事を祈ってくれた。

    



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