キサラギは息を飲み下した。
 途方もないことを言われている。そう分かるのに、まったく現実感がない。世界の守護者なんて名称、大仰すぎて笑うこともできない。
 ただ、この世界が迷っているのは分かる。
 どちらに進めばいいのか。壊れるべきなのか、正されるべきなのか。苦しむようにして、誰かの選択を待っていることは感じる。
 ――ひとつの大きな目標に向かう時、竜狩りは、個々人の役割を果たすことに重きを置く。
 巨大竜を引きつけるための囮。突撃を行う重装備の前衛部隊。追撃を行う中衛部隊。後衛の射手。負傷者を運び出す衛生隊。一人が欠けたら誰かが補えるように隊を組む。そのための訓練を積む。
 もし『世界の危機を救う』という目標に取り組むとしたら、キサラギは何をすべきか。
(センを、助ける)
 狂気に落ち込んでいる彼を正気に戻すことが、王国に満ちる呪いとやらを消すことにつながるのなら、それができるのは、自分だけ。
 そして、自らの望みも同じこと。
(センを、助けたい)
「……竜約を結ぶことで、あなたは人間ではなくなる。あなたたちは、永遠に近いところまで生き続ける」
 シェンナが囁く。
「決して人の中に混じることはできない。戻ることも、もうできない。守護者と呼ばれながら、いつまでも世界の犠牲であり続ける……」
 幼くして故郷を失い、孤独な身となって、竜狩りを目指してきた。呆気なく命を落としてしまうような仕事を生業にして、剣を振るうことをためらわずに生きてきた、そんな自分が、シェンナのような存在になる。いつまで生きられるか分からなかったものが、何百、何千と生きるものになる。
(でも、ひとりじゃない)
 息を吸い込み、それを想像してみた。
 少しだけ、面白そうじゃないか、と、思った。
「……大事な人と、一緒に生きることができるなら、それはきっと、幸せなことにちがいないね」
 シェンナは弾かれたように顔を上げ、にかりと笑うキサラギに、瞳を揺らし、淡く笑った。そして、キサラギが心を決めたことに、少しだけ傷つきながら、感謝を示すようにゆっくりと俯いた。
「でも、そうなるには、センを助けないと。あなたは方法を知ってるんですね。教えてください。どうすれば、あいつを助けることができますか」
「彼の竜の狂気を解かねばなりません。最も効果的なのは、血を交わすことです。あるいは言葉で誓約すること。そのためには、彼の竜を王国から離れさせることが第一なのですが……」
 その時、頭上から砂粒が落ちてきた。
 どど、ん……、と低い音が聞こえてくる。かすかに、地面が揺れている。
(地上で何かあった?)
 シャルガたちがいるはずだ。戦闘になっているのか。
「王国の竜たちが来た」
 震える声が響く。見ると、シェンナが血の気をなくしていた。
「結界が破られてしまった。金砂の遺跡が見現されてしまったのだわ」
「なっ……、行かないと!」
 王国の竜、ということは、恐らく竜人だ。少数精鋭のシャルガたちでは、戦うのに無理がある。
 地響きはひどくなりつつあった。遺跡が壊されてしまう。
 キサラギは剣を握ると、身を翻し、暗い通路を地上へと抜けた。


 シャルガたちと別れたあの広間に出た瞬間だった。ばあん、と破壊音が響き、天井に穴が開く。石の屋根の一部を薙ぎ払ったのは、竜の爪だった。キサラギは一気にそこを走り抜け、外に出た。
 凄まじい砂埃で、周囲が見えない。
 風が吹き荒れている。空を見ると、影があった。
(翼で風を起こして、窒息を狙ってるのか)
 この人工的な砂嵐を抜けたところに、敵が待ち構えているのだろう。
 指揮官、命令する者がどこかにいるはずだ。竜人がこうして群れを構成して、侵攻を行うのに初めて遭遇する、そう思って、いや、と内心から否定が返った。
(群れていた竜人はいた。……キズ山脈の、竜人の郷の者たち)
 そうして全身を躊躇している間に、剣戟が聞こえてきて我に返る。声も聞こえる。男たちの声。砂漠の戦士たちだ。
 キサラギは剣を抜くと、砂嵐へ刃を向けた。
 敵が待ち構えているのなら、その攻撃よりも早く打ち取るまで。
 世界を救うとか、守護者になるとか、そんな大それたことはできないけれど、この手の届くところにあるものを、自分に持てる力で助けることはできるはずなのだ。
 そのために、力を求めてきたのだから。
(……なんだろう。手が、あったかい)
 全身を温めるようにして、足元から力が伝ってくる。それは、金色の光になって、肌の表面を淡く覆っていた。太陽の白、砂漠の金、天と地の輝き。キサラギに、何かをさせるために力を与えているものがいる。
「……――はっ!」
 それに応えて、キサラギは剣を縦に一閃させた。
 ごおっ! と風が唸り、ぐるりと回転しながら凄まじい速度で小さな竜巻を起こした。風の渦は、一瞬にして砂嵐を消し飛ばす。
 驚いた様子で空の上の飛影が惑う。砂の覆いから解放されたシャルガの声が、戦士たちを奮い立たせた。巨大化した蜥蜴の群れと、金属製の鎧を身につけた王国の兵士たちを斬り伏せる。
 キサラギはその只中に飛び込み、突き進むと、最奥に立っていた一人の男めがけて剣を振り上げた。
「はああぁっ! やぁっ!」」
 がきん、と音がして、剣が防がれる。
 鋭い爪と鱗を持つ異形の腕が、キサラギの剣を振り払ったのだ。
「……なんだ、お前」
 キサラギの急襲を受けたが落ち着いた様子で、竜人が言った。
 若い男だった。切りそろえた髪に、美しい飾り房をつけている。若木の枝のような髪と、葉の緑の瞳を持ち、気怠げにキサラギを見ていた。着ているものは詰襟の外套。間違いなく、王国からやってきたものだ。
「サクト」
 その時、頭上からもう一人降りてきた。こちらは、短くした金髪のせいか街のどこにでもいる自警団の青年のようだ。
「そいつ、変な力を使った。剣だけで風を斬ったぞ」
「砂漠の竜の力か。だが、その約者は、砂漠の者だと聞いている。お前、何者だ。その髪、目、肌の色……この地の人間ではないな」
 そして、ふと首を傾げた。
「見たことがあるような気がするが、いったいどこで……」
「あんたたちの名前を聞きたい」
 剣を構えながらのキサラギの言葉に、竜人は眉をひそめた。
「何故名乗らなければならない」
「俺、リュウジ!」
 キサラギを不快そうに見ていた青年が、ぎょっと仲間を振り返った。飾り房が、リュウジの顔にべしりと当たる。
「痛って! サクト、それで攻撃するの止めろよなー」
「俺の名前を呼ぶな! 馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、素直に言うことを聞いて名乗るんじゃない」
「別にいいじゃん。どうせ、すぐに殺しちゃうんだし」
 ね、と笑顔を浮かべるリュウジの目には、危険な光がある。どれだけ人懐っこくとも、彼らは竜人であり、その本能で人の血を求める。染み付いた嫌悪と恐れに息を飲み込みながら、キサラギはなんとか笑みを浮かべた。
「草原風の名前か。あんたたち、キズ山脈の郷の竜人たちだね」
 サクトの表情に、明らかに警戒の色が浮かんだ。
「人間はあの場所を知らないはずだ。お前……竜人なのか?」
 彼らには判別がつかないらしい。キサラギの持っている護符のせいだった。以前、この護符を下げていたおかげで、竜人の郷に入ることができ、少しだけその場所に暮らす竜人たちの人となりを知ったのだ。
 竜人は、人間と同じように、家族を作り、子どもが生まれる生き物だった。集落を作り、家々が建てられ、着るものや身を飾るものを作る。――あの時は、すべてを見て回ることも、同じようにして生活することもできなかったけれど、自分たちと変わりないということに戦慄を覚えた。
 けれど、今は別に思うことがある。
 生き物としては異なる。けれど、棲み分けることで、同じ世界に暮らしていくことができるかもしれない、と。
「私は竜人じゃない。私は竜狩り。名はキサラギ。サクト、リュウジ。ここは退いてくれないか」
 二人の顔が、ぎくりと強張った。キサラギは彼らの目の前で剣を振る。
「私の獲物はあんたたちじゃない。頭を出しな。用があるのはそいつだけだ」
 顎をしゃくり、見据える。
 背後の戦いは終結しつつあった。主力はこの二人なのだろう。中型の砂蜥蜴を率いてきたのは、ここにいる金砂の一族を抑えるためだ。
「キサラギ……そういう、ことか」
 サクトが呟く。
 その直後、彼の目の虹彩が変化し、竜眼に変わった。気配が膨れ上がり、背後に揺らめく影が現れる。
「――『彼女』の言っていた『約者』。もし生きていたら殺せと言われていた女だ」
「そうだったっけ? まあ、いいや。サクトがやる気になったみたいだし」
 傍らのリュウジもまた、手足を変異し始める。
「あんた、すごーくいい匂いするね。美味しそう。ってことはやっぱり人間か。その血、欲しいなあ……」
 キサラギは、剣を構えた。
「殺せって命令が出てる? 誰から」
 中空で風がぐるりと巻いた。
 渦が弾け、二頭の竜が姿を現す。薄緑色のしなやかな竜、もう一方は黄土色のずんぐりとした竜だ。
 二頭の竜の足と尾が、遺跡の瓦礫を砕き割った。
 言う必要はないということだった。もうもうと砂埃が舞い、生き残っていた砂蜥蜴が逃げ惑う。
 高らかに吠えた黄の竜が、まるで一つ一つを押しつぶすような執着さで、遺跡を壊して回る。薄緑の竜は、その中で蠢く人間たちを捉え、追い立てつつ、その爪と牙にかけようと襲い掛かってきた。
 二頭の巨大竜。戦力は小隊一つ。分が悪すぎる。
(この場合は――逃げる!)
 石を蹴った、その瞬間だった。
 地面が動いた。表層が剥がれ、地が割れる。
 足場を失った竜たちがのたうち、その場に留まろうとするが、踏んだ場所が沈むために飛び立つこともできない。
(地面が……流砂に変わってる!)
「リリス!」
「シャルガさん! 無事でしたか」
 キサラギの呼びかけに、彼は笑った。それは、いつも抑制している彼が初めてはっきりと浮かべる豊かな表情だった。
「砂の戦士は、蜥蜴程度に後れは取らん」
「……頼もしいです!」
 キサラギは退路を確保しながら、竜たちから距離をとった。
「だが、あれほど巨大なものは初めて見る」
「巨大竜、その中でも、人と竜どちらの姿も持つ竜人です。砂蜥蜴を操ることのできる上位の竜というのは、彼らのことでしょう」
 そして、その彼らを翻弄している力の持ち主がいる。
 砂が、まるで生き物のように動いている。竜たちの足を絡め、引きずりこもうとしている。もがく竜の翼を押さえつける脚が現れる。

    



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