「人には、光が必要です」


       *


 行き来が分からぬよう、厳重に隠された状態で、エタニカがハルム城塞に到着した。すでに日が暮れ、雲に覆われた空には、雨のせいもあって、闇の訪れが早い。早々にかがり火を焚くように指示してから、ふと、外が気になった。
「どうした?」
「そろそろ雨が多くなる。堤を開けた方がいいかと思った。少し排水しておいた方がいい」
 今か? とシンフォードを呼びにきたロルフは首をひねる。
「誰か向かわせるか?」
「いや、思いついただけだ。手勢を割きたくない」
「だったら頼んでみたらどうだ。姫の部下がいるだろう。彼らならこの辺りに詳しいし、任せてもいいと思うが」
 グレドマリアに滞在していた間、スタンレイたちの働きぶりや忠実さを知っていたシンフォードは、彼らにある程度の信頼を置いていた。故国への裏切りを厭わず奔走する彼らの胸には、エタニカへの忠節がある。アンナ王女を秘匿し、エタニカを庇うことなく、捕らえてしまったフォルディア王の振る舞いに、彼らは憤っていた。十八の娘が剣姫と呼ばれるということは、元々剣士たちの信頼を勝ち得ているということだった。
 ロルフは元々気さくな性格であるために人の懐に入るのがうまい。スタンレイらと話をして、彼らの忠義が本物だと分かっているのだろう。頼んでみよう、と勝手に指示を出してしまう。エタニカに忠誠を誓っている彼らを勝手に使っていいわけがないのだが、すぐに戻ってきたロルフは「快く了承してくれたぞ」と嬉しそうだった。
「姫が到着したのに、ずいぶん冷静じゃないか。走っていくかと思ったのに」
 言われるように、シンフォードは落ち着いていた。あれほど胸をざわつかせていたものも、息をひそめている。
「恋う相手には常に勇姿を見てもらいたいものだろう」
「お前が女々しくても姫は気にしないと思うが。というか気付かないかな。さあ、感動の再会をしようじゃないか」
 兵士に合図して、扉を開く。室内にはドレスの娘とフォルディアの騎士が立っていた。ドレスの娘はグレドマリアにいた時と同じように深くベールを被り、こちらを見るなり立ち上がって裾を摘む。
 姿を見た瞬間、シンフォードは我を忘れた。衝動のままに突き進み、被り物に手をかける。ベールを剥ぎ取って、沈黙が落ちた。投げ捨てた薄布と同時に、娘が崩れ落ちる。
「お、お許しください、お許しください! 私は……」
「シンフォード」
 ロルフが白く強ばった面持ちで呟いた。
「これは、誰だ」
 まとめられた焦げ茶の髪。同じ色の瞳。衣装こそ身につけていたものに似ているが、仕草はもちろん、顔も背丈も似ても似つかない。剣士であったエタニカは、立ち姿に常に芯が通っていたし、身体は必要なところが引き絞られて、威厳があった。
 控えている騎士たちを見る。彼らは蒼白になって膝をついた。降伏したのだった。
「お許しください、シンフォード殿下! フォルディア王のご命令なのです。エタニカ様の身代わりを立て、こちらに来たのは……」
 脂汗を滲ませて、彼らは言った。覚悟を決めた者として、目を背けずに。
「――足止め、です」
「皆様がエタニカ様へ目を向けている間に……我が国の戦士たちが、グレドマリア王都アレムスを目指しております」
 おゆるしください、おゆるしください。ねじをなくしたかのように、生贄にされた娘が涙を流しながら床にひれ伏して、無意味な言葉を繰り返す。悲痛な声に背を向けて、シンフォードは砦を出発した。耳の奥で、エタニカの声が聞こえている。
 ――私と国ならば、あなたは国を選ぶ方です……。


「っ、開けろ! 開けろっ! おい!」
 閉ざされた扉にエタニカは拳を振るう。女官たちが使う小部屋には厳重に鍵をかけられ、辺りに人気はない。声を枯らしても答えはなかった。
 ――私は参りません。フォルディアに留まります。ですからどうか、グレドマリアと講和を。
 言いなりになればすべて収まるはずだと、約束を交わすのではなく「行かない」と告げたのに。王太后の心遣いをふいにして良心が痛んだが、仕方のないことだ。大事なのは個人の感情ではなく、二国の和解。どんな思惑や策謀があろうが、和平が成ることが最重要なのだから。
 だというのに、裏切られた。
「開けろ! 開けろ、クエド!」
 ばあん! と扉板が鳴る。これほどまでに必死なのは、クエドが来て言ったからだ。
 国境までシンフォードが来ている。エタニカがやってくると信じて。彼らがそこにいる間に、グレドマリアに攻め入るのだ。。今度こそ、フォルディアが勝利する。
(こんな……こんなことまでも偽るなんて!)
 フォルディア王は最初からエタニカをグレドマリアにやるつもりはなかった。エタニカが言うことを聞き、大人しくなれば拘束しやすくなると踏んで、あんな、叶えるつもりもない条件を提示した。王太后との約束は、騒ぎが起これば果たさずとも問題ないと考えたのだ。
「なんて……愚かな……」
 原因は自分の余計な一言にある。王は、シンフォードと比較され、下だと断じられたことに自尊心を傷つけられたのだ。愚かな国、愚かな血筋。エタニカにも同じ血が流れている。決して認められてこなかったエタニカだけれど、確かにフォルディア王家の娘だった。
 座り込み、力なく項垂れる。出来ることが何もない。窓もないから脱出方法もない。扉は飾り気のないわりに分厚く、閉じの部分は指をかけても外れそうにない。小さな箱に閉じ込められた虫のように、無力だと知りながら壁を掻く。早く行かなければならないのに。
 祈ることしかできない。いつも切り開くための力を手にしてきたのに、エタニカに残されたものは何もない。シンフォードの姿だけが胸の中に、憧れとともに輝いている。冷たく、震えるしかない身体をわずかに暖めてくれる。
 抱きしめてもらえばよかったのだろうか。二度と会えないかもしれないから。
(出会ってはいけなかった。私の運命は、あの人に出会うものではなかったのに)
 それでも、彼の存在は喜びだった。
 夢であり、希望。かけがえのない、光と、愛だった。
 熱い。胸に、やけどを思わせる痺れとなって感じられる。
「――……?」
 どうして、こんなに温かいのだろう。
 胸元を手繰った。何が熱を発しているのか確かめようと内を探り、見つけ出す。熱は、古びた鍵から生まれていた。
 指先で摘んだ鍵は、かすかな粒を引き寄せ、きらめきを発している。
 かち、ん。
 扉が鳴り、開く。夜が訪れ、果てのない暗闇に染まる道が続いている。
 どうして扉が開いたのか。鍵が光っているのかは分からない。エタニカはけれど、心の従うまま、外へまろびでた。
 行くのだ。まっすぐに、目指す。彼の声が聞こえるところへ。
 ――私は貴方を。
 己で遮ったその続きに、今でもエタニカは耳を澄ましている。



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