現理事長、加瀬行成氏が課した、『暁の書』課題。一体全体、どうしてそんな馬鹿馬鹿しい課題など課すのか、その権限が加瀬氏にあるのかと、俺などは疑問に思うのだが、理事たちはそれに飛びついた。そんなことで学院の運営権を手に入れられるなら手軽でいいということなのかもしれない。
 理事長という職は、香芝家にとって魅力的だった。成金でのし上がってきた香芝家は、そろそろ確かな地位や肩書きを手にするべきだ。もう誰にも馬鹿にされないためにも、俺は、祖父に理事長になってほしかった。
 一方、羽宮家は財政が傾いていると聞く。最近になって援助があったらしく持ち直しつつあるようだが、理事長となれば繋がりが強化され、増えもする。援助が多くなるのだ。ゆえに羽宮家にとって、『暁の書』はいわば起死回生の策でもある。欲しがるのは当然だろうし、羽宮理事も、羽宮常磐にそう指示するに違いない。
 内藤佑子に接触すべきだ、と俺は思った。内藤佑子が黎明学院創始者の子孫であることは本人から確認がとれている。『暁の書』の心当たりを聞くのだ。今度は下手に出て、あの目に惑わされないように。
「なあ、『暁の書』って、本当にあるのか?」
 木野下が不意に言った。フライパンを熱し、油を注いで、ゆっくりと掻き回しながら。こいつは料理もできるのかと見つめて「それがどうした」と聞く。
「俺は詳しいことを知らないから、適当に聞き流してほしいんだけど」
「早く言え」
「急かすなって。俺たちにとっては幻の書、封印の書的な学校の七不思議になってるけど、理事長がそれを利用して嘘をついてるってこと、ないか」
 そもそも『暁の書』ってなんだ? と木野下。
「そんなので学校のトップ、決めていいのか? 俺、正直言って、そんなことで誰にも理事長になってほしくない」
 そして、俺を見て「悪い」と言った。
「お前ん家は真剣なのにな。ごめん」
「木野下」
「うわ!?」
「お前、いい奴だな!」
 俺は感動していた。そんな風に言われるとは思っていなかったからだ。沸き起こる感動に肩を揺さぶると、木野下はにやっとした。
「今頃気付いたのか、香芝。俺はいつだっていいやつだぞ」
 出汁を取り、味噌をとき、玉葱とわかめを煮て、鮭はオリーブオイルで焼いたものが完成した。各班に一台ずつ、四合ずつ炊かれた白米を、男たちは大盛りによそい、かき込んだ。
「学院の七不思議の話、していたろう、木野下」
 尾上が箸で鮭の皮を剥がしながら尋ねた。
「七不思議? 何、お前らそんなのに興味あるの?」
 小石川がにやにやする。みそ汁の二杯目をよそうつもりなのだろうが、無意味に鍋をかき混ぜる。
「何があったっけ。幻の書、体育館のボール、階段の踊り場、中庭の笑い声、校長室の人形、図書館の幽霊……」
「校長室の人形、今はないよ、小石川」
 尾上が言うと、そうなの? と小石川は首を傾げた。尾上は、そうだ、と頷く。
「二十年くらい前になくなったらしいと、先輩が言っていた」
 そういう尾上は文芸部員で、そういうことが口伝で受け継がれているのだという。七不思議は俺も聞いたことがあったが、小石川や尾上のように、正確なところまでは知らなかった。例えば。
「図書館に幽霊が出るのか」
「男子生徒っていう説と男性教諭って説があるみたいだぜ。道ならぬ恋をした男がそれを苦に自殺、っていう」
 ふと、内藤佑子を思った。大丈夫だろうかと考え……。
(あいつなら、幽霊でも殴る)
 という結論に落ち着いた。
 すると、それまで何度も指を折っていた木野下が妙な顔をして小石川を見た。
「なあ、小石川。さっきあげたの、六つしかないけど」
「え? そうか?」
 小石川も数え、尾上も視線を斜め上にやっている。俺も数えてみたが、確かに六つしかない。しかし、四人の頭をつき合わせてみても、最後のひとつがどうしても思い出せなかった。
「食べ終わった人はそろそろ片付けを始めてねー!」
 浮田教諭の号令がかかり、空腹が満たされてだらついた生徒たちが動き始める。炊飯釜を先に水につけておくように指示して、俺は食事を終える。
 食器を洗い、生ゴミを回収する。水回りを布巾で拭くよう言ってから、生ゴミの入った袋を持って、教室の一番前のゴミ箱まで行くと。
「!」
「…………」
 こちらに気付いているのに、わざとらしく視線をそらした羽宮の後ろに並ぶことになった。
 羽宮はまだ濡れた手に生ゴミの袋を持ち、大きなゴミ箱のふたを開けると、前の授業で溜まったらしいゴミの山を、自らのゴミでぎゅうぎゅうと押しつぶしてから、俺に場を譲った。振り返りもしない。
 戻った先で、ありがとう、とどこか緊張した調子で声をかけられ、羽宮は短く答えたようだ。まだ何か話しかけたいらしいクラスメートを意に介すことなく、羽宮は三角巾を外し、エプロンを外した。
 それを見ながら、俺はどうして羽宮が嫌われていないことにほっとして、羽宮がそれに答えないことに腹が立っているんだろう、と思っていた。

「あ、思い出した」
 と木野下が言ったのは、生徒たちが家庭科教室から、クラスへ引き上げているさなかのことだった。
「何がだ」
「七不思議。思い出せなかったやつ」
 ざわめきの中で、妙にすっきりした顔で、木野下は。
「一人増えてるってやつだ。クラスに、いつの間にか生徒が増えてるってやつ」
 ――それに寒気を覚えたのはどうしてだろうか。

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