自分は何度この光景を見ればいいのか。
溢れる血に誇った美貌を汚して、女が倒れている。もう視界が利かないのか、そこに立っているのがセンだと気付きながらも、目の焦点が合わない。唇はけれど、私の小さな竜、と囁いた。
「ミサト」
「……あなたを、拾ったのは、私の、気まぐれ。ルブリネルクの、血を引くあなたを、竜の血で狂わせて、やりたかったの、よ……」
殺してやろうと思っていた、王国を追われた王子が、竜人となって覚醒してしまったのは、彼女の想定外のことだった。
そして、本来なら上位の立場になるはずのセンが、幼さゆえに彼女の下に降ったことで、様々な弊害が起きてしまった。ランカの亡骸を奪われ、狂わされたことも。ミサトにセン自身が最後まで抵抗しなかったことも。
もう少し動くのが早ければ、彼女を手にかけることもなかったかもしれない。
「……あなたには、感謝している。俺は、本来なら、とっくに死んでいるはずだった」
ミサトは唇を持ち上げる。
「その、代償に、あなたは、こうやって、誰かを殺していくのよ。あなたの大事なあの子の代わりに、手を汚すの。それは、あなたが血をつないでも、受け継がれていく。あなたの子孫は、自身の大事な者に代わって、手を染めて、いく」
子孫、という可能性に、胸を突かれる。
かすかな驚きを悟って、ミサトは嘲笑う。
「馬鹿な子。子どもくらい、出来るでしょうに。初心ね」
「最期まで俺をからかっていくのか」
「そうよ。それが、楽しみだった。あなたは頑なで、馬鹿正直で、不器用で……あの王家の者とは思えないくらい、純粋で」
瞳の奥に何か過る。ゆっくりと、彼女の意識がこの世から遠ざかっていく。
「……少しだけ、我が子のようだったわ」
センは頷いた。
『人間の血が望みを叶える』――彼女がそれを求めた理由を知っている。
幸福な家族を壊した龍王。夫と子を奪われた挙句、竜の血で人間ではないものに変えられた彼女は、ずっと、ひとに戻りたかったのだと、センは知っている。あの頃の幸福を取り戻せると、ミサトは淡く、かすかな夢を見ていたのだ。
「知っている。あなたを母だと思ったことはないが、年の離れた姉か、叔母のように思っていた」
ミサトは笑った。楽しげに、センをからかった。
「口が、上手くなったわね。こんな年寄りを最期まで女扱いしてくれて、どうも、ありがとう」
大きく息を吐くようにしたのが、最後の呼吸だった。
不幸な運命にさらわれた女の、憎悪と呪いに満ちた生が、穏やかなもので終わっていたらと、願わずにはいられなかった。いびつな形で繋がっていたとしても、共に暮らし、様々なことを教わり、最後には憎み合いはしたが、どこか家族に似たつながりを与えてくれたのは、彼女だった。
血塗られた女の上にも、雨が降っている。
手のひらにそれを受けて、空を仰ぐ。天空は、黄金に染まっている。
そこから降るのは、白い雨。
この世界の闇を洗い流す、光だ。
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